てその話を聞いているので、女房の命の親であると尊敬して、是非とも午飯《ひるめし》を食って行ってくれと頼むので、彼はよんどころなくそこに居残ることになって、他の一行は舟に乗り込んだ。
 残された彼は幸いであった。他の二十七人を乗せた舟がこの渡し場を出ると間もなく、俄かに波風があらくなったので、舟はたちまち顛覆して、一人も余さずに魚腹に葬られてしまった。
 青年は不思議に命を全《まっと》うしたばかりでなく、三十を越えても死なないで、無事に天寿を保った。この渡しは今でも温《うん》州の瑞安《ずいあん》にある。

   女の知恵

 姚忠粛《ちょうちゅうしゅく》は元《げん》の至元《しげん》二十年に遼東《りょうとう》の按察使《あんさつし》となった。
 その当時、武平《ぶへい》県の農民|劉義《りゅうぎ》という者が官に訴え出た。自分の嫂《あによめ》が奸夫と共謀して、兄の劉|成《せい》を殺したというのである。県の尹《いん》を勤める丁欽《ていきん》がそれを吟味すると、前後の事情から判断して、劉の訴えは本当であるらしい。しかも死人のからだにはなんの疵《きず》のあとも残っていないのである。さりとて、毒殺したよ
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