まえの家には曾《かつ》て異人から授かった鉄簡があるそうだが、見せてくれ」と、大王は言った。
 これまでにも老女の話を聞いて、その鉄簡をみせてくれという者がしばしばあるので、彼女はその贋物《にせもの》を人に貸すことにして、本物は常に自分の腰に着けていた。きょうもその贋物の方を差し出すと、大王はそれを取り上げたままで返さないばかりか、ここの家には娘がある筈だから、ここへ呼び出して酒の酌をさせろと言った。娘はあいにくに病気で臥《ふ》せって居りますと断わっても、王は肯《き》かない。どうでもおれの前へ連れて来いとおどしつけて、果ては手籠《てご》めの乱暴にも及びそうな権幕になって来た。
 老女はふと考え付いた。この大王などというのはどこの人間だか判らない。かの道士は二十年後に禍いがあるといったが、その年数もちょうど符合するから、大事の鉄簡を用いるのは今この時であろうと思ったので、腰につけている本物の鉄簡をそっと取って、竈《かまど》の下の火に投げ込むと、たちまちに雷《らい》はとどろき、電光はほとばしって、火と烟りが部屋じゅうにみなぎった。
 しばらくして、火も消え、烟りも鎮まると、そこには数十匹の猿が撃ち殺されていた。そのなかで最も大きいのがかの大王で、先年逃げ去ったものであるらしい。かれらのたずさえて来た諸道具はみなほんとうの金銀宝玉を用いたものであるので、老女はそれを官に訴え出ると、それらは一種の贓品《ぞうひん》と見なして官庫に没収された。
 泰不華元帥《たいふかげんすい》はその当時|西台《せいたい》の御史《ぎょし》であったので、その事件の記録に朱書きをして、「鬼贓」としるした。鬼の贓品という意である。

   一寸法師

 元《げん》の至元年間の或る夜である。一人の盗賊が浙省の丞相府《じょうしょうふ》に忍び込んだ。
 月のうす明るい夜で、丞相が紗《しゃ》の帷《とばり》のうちから透かしてみると、賊は身のたけ七尺余りの大男で、関羽《かんう》のような美しい長い髯《ひげ》を生《は》やしていた。侍姫《じき》のひとりもそれを見て、思わず声を立てると、丞相は制した。
「ここは丞相の府だ。賊などが無暗にはいって来る筈がない」
 みだりに騒ぎ立てて怪我人でもこしらえてはならないという遠慮から、丞相は彼女を制したのである。賊はそのひまに、そこらにある金銀珠玉の諸道具を片端から盗んで逃げ去った。
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