を探り当てた。それが人であるか鬼であるか判らないので、梁は門外へ引っ返して、燈火を取って来て更によく照らしてみると、それは一人の若い女であった。
女は容貌《きりょう》がすぐれて美しい上に、その服装もここらには見馴れないほどに美麗なものであった。こんな女がどうしてここにいたのか、その子細をたずねようとしても、彼女は気息奄々《きそくえんえん》としてあたかも昏睡せる人の如くである。そこへ他の諸生らも集まって来て、これはおそらく本当の人間ではあるまい、鬼がこんな姿に変じて我々をあざむくのであろうなどと言いながら、しばらく遠巻きにして窺っていると、女はやがて眼をあいて、あたりを見まわして驚き怖れるような様子であった。
「おまえは人か鬼か。一体どこから来た」と、梁は訊いた。
「わたくしは楊《よう》州の或る家の娘でございます。きょう他へ輿入《こしい》れをする筈で、昼間から家を出ますと、その途中で俄かに大風が吹いて来まして、どこへか吹き飛ばされたように思っていますが、それから先は夢うつつでなんにも覚えて居りません」
それを聞いて諸生らは喜んだ。梁にはまだ定まった妻がないので、神が楊州から彼に美人を送って来たのであろうと言った。梁もそうであろうかと思って、結局連れて帰って自分の妻としたが、あとで聞くと彼女は楊州でも人に知られた大家《たいけ》の娘であった。
梁はそれから十数年の後、大いに立身して高官にのぼった。妻は数人の子女を儲けて夫婦むつまじく暮らした。[#地から1字上げ](同上)
捕鶉《ほじゅん》の児
平輿《へいよ》の南、凾頭村《かんとうそん》の張老《ちょうろう》というのは鶉《うずら》を捕るのを業としていたので、世間から鶉と呼ばれていた。
張はすでに老いて、ただ一人の男の児を持っているだけであったが、その児が十四、五歳になった時に病死したので、張夫婦は老後の頼りを失った悲しみに泣き叫んで、わが子と共に死にたいと嘆いた。その翌日になっても死体を埋葬するに忍びないので、瓦を積んで邱《おか》を作って、地下一、二尺のところに納めて置いた。
「わたしの児はまた活きて来る」と、彼は言った。
それを愚痴と笑う者もあれば、憫《あわ》れむ者もあった。死後三日目に、張夫婦は墓前に伏して、例のごとくに慟哭《どうこく》をつづけていると、たちまち墓のなかで呻《うな》るような声がきこえた
前へ
次へ
全10ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング