判りません」
 それから五、六日を過ぎないうちに、王確は酔って襄《じょう》という所へ出かけた。帰りには日が暮れて、趙《ちょう》という村まで来かかると、路のまんなかで兄の王に出逢った。とうに死んでいる筈の兄は、地に筋を引いて一々に弟の罪状をかぞえ立てた上に、馬の策《むち》をふるって続け打ちに打ち据えたので、さすがの乱暴者も頭を抱えて逃げ廻って、僅《わず》かに自分の家へ帰ることが出来た。
 燈火《あかり》の下でよく視ると、彼の着物はさんざんに破れているばかりか、背中一面が青く腫れあがっていたので、彼はいよいよおびやかされた。翌朝かれは兄の画像の前に百拝して、以来は決して酒を飲まなくなった。[#地から1字上げ](同上)

   古廟の美人

 広寧《こうねい》の閭山公《ろざんこう》の廟は霊験いやちこなるをもって聞えていた。殊にその木像が甚だ獰悪《どうあく》である上に、周囲には古木うっそうとして昼なお暗いほどであるので、夜は勿論、白昼でもここに入るものは毛髪おのずから立つという物凄い場所であった。夜が更けると、神か鬼か知らず、廟内で罪人を拷問《ごうもん》するような声がきこえるという噂も伝えられた。
 参知政事の梁粛《りょうしゅく》は、若い時にこの郷《さと》の※[#「てへん+牽」、235−8]馬嶺《けんばれい》というところに住んでいた。彼は挙子《きょし》となって他の諸生と夏期講習の勉強をしている間に、あるとき鬼神に関する噂が出て、誰が強かったとか、誰が偉かったとか言っていると、梁は傲然《ごうぜん》として言った。
「わたしはどの人も強いとは思わない。そんなことは誰にでも出来るのだ。論より証拠で、わたしは日が暮れてから閭山の廟へ行って、廟のなかを一周してみせる」
「ほんとうに行くか」
「おお、いつでも行く」
「行ったという証拠をみせるか」
「わたしが通ったところには、壁や板に何かのしるしを付けて置く」と、梁は答えた。
 若い者にはよくある習いで、その明くる晩いよいよ一緒にゆくことになった。但し他の諸生は門外に待っていて、梁ひとりが廟内の奥深く進み入るのである。彼は恐るる色なく、木立ちのあいだをくぐりぬけて、古廟のうちへ踏み込むと、灯《ひ》ひとつの光りもないので、あたりは真の闇であった。手探りでしるしを付けながら、だんだんに廟の東の隅まで廻ってゆくと、何者かが壁に倚りかかっているの
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