行き過ぎるばかりであった。
 そのうちに二人の樵夫《きこり》が相談して、儲けは山分けという約束で、この蜂の巣を取ることになった。一人は腰に縄をつけて、大木にすがって下ること二、三十丈、ようように巣のある所まで行き着いて、さかんに蜜を取った。他の一人は上から縄をとって、あるいは引き上げ、あるいは引き下げていたが、やがて蜜も大方とり尽くしたと思うころに、上の一人は縄を切って去った。自分ひとりで利益を占めようと考えたのである。
 取り残された樵夫は声を限りに叫んだが、どうすることも出来なかった。巣に余っている蜜をすすってわずかに飢えを凌いでいながら、どこにか昇る路はないかと、石の裂け目を攀《よ》じてゆくと、そこに一つの穴があった。
 穴は深く暗く、その奥に蛟《みずち》か蟒蛇《うわばみ》のようなものがわだかまっていて、寄り付かれないほどになまぐさかった。やがて蟒蛇は鉦《かね》のような両眼をひらくと、その光りはさながら人をとろかすように輝いた。しかも彼は別に動こうともしなかった。樵夫は非常に恐れたが、どこへ逃げるという路もない。殊に穴のなかには暖かい気が満ちていて、寒さを凌ぐには都合がいいので、そこに出たり這入ったりして日を送った。
 ある日、雷鳴がきこえると、穴のなかの物は俄かにのたくり出した。雷鳴が再びきこえると、物は穴から抜け出して行こうとするのである。
「どうで死ぬのは同じことだ」
 樵夫は覚悟して、その鱗《うろこ》の上に攀《よ》じ登ると、物は空中をゆくこと一、二里で、彼を振り落した。しかも池に落ちたために彼は死ななかった。後に官に訴えて出たので、彼を捨てて行った者は杖殺の刑におこなわれた。[#地から1字上げ](湛園静語)

   答刺罕

 至順《しじゅん》年間に、わたしは友人と葬式を送った。その葬式の銘旗に「答刺罕《タラカン》夫人某氏」としるされてあるのが眼についた。答刺罕は蒙古語で、訳して自在王というのである。わたしはその家の人に訊いてみた。
「答刺罕と書いてあるのは、朝廷から封ぜられたのですか。それとも本人の字《あざな》ですか」
「夫人の先祖が上《かみ》から賜わったのです」と、家人が答えた。「世祖《せいそ》皇帝が江南をお手に入れる時、大軍を率いて黄河《こうが》までお出でになりましたが、渡るべき舟がありません。よんどころなく其処《そこ》に軍をとどめる事になりまし
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