それを町の店なかに懸けて置くこと数年、だんだん老境に入るにしたがって、毎日唯ぼんやりと坐ったままで、画《えが》ける虎をじっと見つめていた。
彼は一日でも画ける虎を見なければ楽しまないのであった。忰や孫たちが城中へ豆や麦を売りに行って、その帰りに塩や醤油を買って来る。それについて何か気に入らない事があると、すぐに怒って罵って、時には杖をもって打ち叩くこともある。そんな時でも画ける虎を見れば、たちまちに機嫌が直って、なにもかも忘れてしまうのである。
療治に招かれて病家へ行っても、そこに画虎《がこ》の軸でもあれば、いい心持になって熱心に療治するのであった。したがって、親戚などの附き合いからも、画虎の軸や屏風を贈って来るのを例とするようになった。こうして、幾年を経《ふ》るあいだに、自宅の座敷も台所も寝間も一面に画虎を懸けることになって、近所の人たちもおどろき怪しみ、あの老人は虎に魅《みこ》まれたのだろうなどと言った。あまりの事に、その老兄も彼を責めた。
「お前はこんなものを好んでどうするのだ」
「いつもむしゃくしゃしてなりません。これを見ると、胸が少し落ちつくのです」
「それならば城内の薬
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