うそう》であろう」と言った。
唐の昭宗皇帝は英主であったが、晩唐の国勢振わず、この洛陽で叛臣|朱全忠《しゅぜんちゅう》のために弑《しい》せられたのである。[#地から1字上げ](同上)
我来也
京城の繁華の地区には窃盗が極めて多く、その出没すこぶる巧妙で、なかなか根絶することは出来ないのである。
趙尚書《ちょうしょうしょ》が臨安《りんあん》の尹《いん》であった時、奇怪の賊があらわれた。彼は人家に入って賊を働き、必ず白粉をもってその門や壁に「我来也《がらいや》」の三字を題して去るのであった。その逮捕甚だ厳重であったが、久しいあいだ捕獲することが出来ない。
我来也の名は都鄙《とひ》に喧伝《けんでん》して、賊を捉えるとはいわず、我来也を捉えるというようになった。
ある日、逮捕の役人が一人の賊を牽《ひ》いて来て、これがすなわち我来也であると申し立てた。すぐに獄屋へ送って鞠問《きくもん》したが、彼は我来也でないと言い張るのである。なにぶんにも証拠とすべき贓品《ぞうひん》がないので、容易に判決をくだすことが出来なかった。そのあいだに、彼は獄卒にささやいた。
「わたしは盗賊には相違
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