中国怪奇小説集
異聞総録・其他
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)浅学寡聞《せんがくかぶん》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)元来|刻薄《こくはく》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「澹−さんずい」、第3水準1−92−8]《たん》六
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 第九の男は語る。
「わたくしは宋代の怪談総まくりというような役割でございますが、これも唐に劣らない大役でございます。就いてはまず『異聞総録』を土台にいたしまして、それから他の小説のお話を少々ばかり紹介いたしたいと存じます。この『異聞総録』はまったく異聞に富んだ面白いものでありますが、作者の名が伝わって居りません。専門の研究家のあいだにはすでにお判りになっているのかも知れませんが、浅学寡聞《せんがくかぶん》のわれわれはやはり作者不詳と申すのほかはございませんから、左様御承知をねがいます」

   竹人、木馬

 宋の紹興《しょうこう》十年、両淮《りょうわい》地方の兵乱がようやく鎮定したので、兵を避けて江南に渡っていた人びともだんだんに故郷へ立ち戻ることになった。そのなかで山陽《さんよう》地方の士人《しじん》ふたりも帰郷の途中、淮揚《わいよう》を通過して北門外に宿ろうとすると、宿の主人が丁寧に答えた。
「わたくしもこの宿舎を持っているのですから、お客人を長くお泊め申して置きたいのはやまやまですが、あなた方に対しては正直に申し上げなければなりません。何分にも軍《いくさ》のあとで、ここらも荒れ切っているので、家《うち》はきたなくなっているばかりか、盗賊どもがしきりに徘徊するので困ります。ここから十里ばかり先に呂《りょ》という家がありまして、そこは閑静で綺麗な上に、賊をふせぐ用心も出来ていますから、そこへ行ってお泊まりなさるがよろしゅうございます。わたくしの家から僕《しもべ》や馬を添えてお送り申させますから」
 ふたりは素直にその忠告を肯《き》いた。殊に呂氏の家というのもかねて知っているので、それではすぐに行こうと出かけると、主人は慇懃《いんぎん》に別れを告げた。
「どうぞお帰りにもお立ち寄りください。もう日が暮れましたから、馬にお召しなさい」
 主人は達者そうな僕二人に二匹の馬をひかせて送らせた。途中も無事で、まだ夜半にならないうちにかの呂氏の家にゆき着くと、家の者は出で迎えて不思議そうに言った。
「近頃この辺にはいろいろの化け物が出るというのに、どうして夜歩きをなすったのです」
 二人はここへ来たわけを説明して、鞍から降り立とうとすると、馬も僕も突っ立ったままで動かない。
 すぐに飛び降りて燈火《あかり》に照らしてみると、人も馬も姿は消えて、そこに立っているのは、二本の枯れた太い竹と、二脚の木の腰掛けと唯それだけであった。竹も木も打ち砕いて焚かれてしまったが、別に怪しいこともなかった。
 それから五、六カ月の後、ふたたび先度の北門外へ行くと、そこは空き家で、主人らしい者は住んでいなかった。[#地から1字上げ](異聞総録)

   疫鬼

 紹興三十一年、湖州の漁師の呉一因《ごいちいん》という男が魚を捕《と》りに出て、新城柵界の河岸に舟をつないでいた。
 岸の上には民家がある。夜ふけて、その岸の上で話し声がきこえた。暗いので、人の形はみえないが、その声だけは舟にいる呉の耳にも洩れた。
「おれ達も随分ここの家《うち》に長くいたから、そろそろ立ち去ろうではないか。いっそこの舟に乗って行ってはどうだな」
「これは漁師の舟だ。おまけにほか土地の人間だからいけない。あしたになると、東南の方角から大きい船が来る。その船には二つの紅い食器と、五つ六つの酒瓶《さかがめ》を乗せているはずだから、それに乗り込んで行くとしよう。その家《うち》はここの親類で、なかなか金持らしいから、あすこへ転げ込めば間違いなしだ」
「そうだ、そうだ」
 それぎりで声はやんだ。
 呉はあくる日、上陸してその民家をたずねると、家には疫病にかかっている者があって、この頃だんだんに快方に向かっているという話を聞かされたので、ゆうべ語っていた者どもは疫鬼《えきき》の群れであったことを初めて覚《さと》った。そこで、舟を東南五、六里の岸に移して、果たしてかれらの言うような船が来るかどうかと窺っていると、やがて一艘の小舟がくだって来た。舟に積んでいる物も鬼の話と符合しているので、呉は急に呼びとめて注意すると、舟の人びともおどろいた。
「おまえさんはいいことを教えて下すった。それはわたしの婿の家で、これから見舞いながら食い物を持って行ってやろうと思っていたところでした。なんにも知
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