し本当に小哥が戻って来たのなら、わたしの手からこの銭《ぜに》をとってごらん。きっとおまえの追善《ついぜん》供養をしてあげるよ」
やがて陰風がそよそよと吹いて来て、その紙銭をとってみせたので、母も兄弟も今更のように声をあげて泣いた。早速に僧を呼んで、読経《どきょう》その他の供養を営んでもらって、いよいよ死んだものと思い切っていると、それから五、六カ月の後に、かの小哥のすがたが家の前に飄然と現われたので、家内の者は又おどろいた。
「この幽霊め、迷って来たか」
総領の兄は刀をふりまわして逐《お》い出そうとするのを、次の兄がさえぎった。
「まあ、待ちなさい。よく正体を見とどけてからのことだ」
だんだんに詮議すると、小哥は死んだのではなかった。彼は実家を出奔《しゅっぽん》して、宜黄《ぎこう》というところへ行って或る家に雇われていたが、やはり実家が恋しいので、もう余焔《ほとぼり》の冷《さ》めた頃だろうと、のそのそ帰って来たのであることが判《わか》った。して見ると、前の夜の出来事は、無縁の鬼がこの一家をあざむいて、自分の供養を求めたのであったらしい。[#地から1字上げ](同上)
義犬
青《せい》州に朱《しゅ》老人というのがあって、薬を売るのを家業とし、常に妻と妾と犬とを連れて、南康県付近を往来していた。
紹興二十七年四月、黄岡《こうこう》の旅館にある時、近所の村民が迎いに来て、母が病中であるからその脈を見た上で相当の薬をあたえてくれと頼んだ。ここから五、六里の所だというので、朱老人は今夜そこへ一泊するつもりで、妻妾と犬とを伴って出てゆくと、途中の森のなかには村民の徒党が待ち伏せをしていて、老人は勿論、あわせて妻妾をも惨殺して、その金嚢《かねぶくろ》や荷物を奪い取った。
そのなかで、犬は無事に逃げた。彼はその場から主人の実家へ一散に駈け戻って、しきりに悲しげに吠え立てるのみか、何事をか訴えるように爪で地を掻きむしった。家の者もそれを怪しんで、県の役所へ牽《ひ》いてゆくと、犬はその庭に伏して又しきりに吠えつづけた。その様子をみて、役人もさとった。
「もしやお前の主人が何者にか殺されたのではないか。それならば案内しろ」
言い聞かされて、犬はすぐに先に立って出た。役人らもそのあとに付いてゆくと、犬はかの森のなかへ案内して、三人の死骸の埋めてある場所を教えた。
「死
前へ
次へ
全15ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング