は食べることが出来ませんから、お婆さんと相談してここの家《うち》へ売られて来ることになったのでございます」
 さらに桂庵婆をよび出して取調べると、その申し立てもほぼ同じようなもので、広備橋《こうびきょう》のほとりに迷っている女をみて、自分の家へ連れて来たのであると言った。なにしろ死んだ女が生き返ってこういうことになったのであるから、役人もその裁判に困って、先夫から現在の主人に相当の値《あた》いを支払った上で、自分の妻を引き取るがよかろうと言い聞かせたが、耿の方が承知しない。いったん買い取った以上は、その女を他人に譲ることは出来ないというので、さらに御史台《ぎょしだい》に訴え出たが、ここでも容易に判決をくだしかねて、かれこれ暇取《ひまど》っているうちに、問題の女は又もや姿を消してしまった。
 相手が失せたので、この訴訟も自然に沙汰やみとなったが、女のゆくえは遂に判らなかった。それから一年を過ぎずして、主人の耿も死んだ。[#地から1字上げ](同上)

   盂蘭盆

 撫《ぶ》州の南門、黄柏路《こうはくろ》というところに※[#「澹−さんずい」、第3水準1−92−8]《たん》六、※[#「澹−さんずい」、第3水準1−92−8]七という兄弟があって、帛《きぬ》を売るのを渡世としていた。又その季《すえ》の弟があって、家内では彼を小哥《しょうか》と呼んでいたが、小哥は若い者の習い、賭博《とばく》にふけって家の銭《ぜに》を使い込んだので、兄たちにひどい目に逢わされるのを畏《おそ》れて、どこへか姿をくらました。
 彼はそれぎり音信不通であるので、母はしきりに案じていたが、占《うらな》い者《しゃ》などに見てもらっても、いつも凶と判断されるので、もうこの世にはいないものと諦めるよりほかはなかった。そのうちに七月が来て、盂蘭盆会《うらぼんえ》の前夜となったので、※[#「澹−さんずい」、第3水準1−92−8]の家では燈籠をかけて紙銭《しせん》を供えた。紙銭は紙をきって銭の形を作ったもので、亡者の冥福を祈るがために焚《や》いて祭るのである。
 日が暮れて、あたりが暗くなると、表で幽《かす》かに溜め息をするような声がきこえた。
「ああ、小哥はほんとうに死んだのだ」と、母は声をうるませた。盂蘭盆で、その幽霊が戻って来たのだ。
 母はそこにある一枚の紙銭を取りながら、闇にむかって言い聞かせた。
「も
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