ないが、決して我来也ではありません。しかし斯《こ》うなったら逃がれる道はないと覚悟していますから、まあ劬《いたわ》っておくんなさい。そこで、わたしは白金そくばくを宝叔塔《ほうしゅくとう》の何階目に隠してありますから、お前さん、取ってお出でなさい」
しかし塔の上には昇り降りの人が多い。そこに金を隠してあるなどは疑わしい。こいつ、おれを担《かつ》ぐのではないかと思っていると、彼はまた言った。
「疑わずに行ってごらんなさい。こちらに何かの仏事があるとかいって、お燈籠に灯を入れて、ひと晩廻り廻っているうちに、うまく取り出して来ればいいのです」
獄卒はその通りにやってみると、果たして金を見いだしたので、大喜びで帰って来て、あくる朝はひそかに酒と肉とを獄内へ差し入れてやった。それから数日の後、彼はまた言った。
「わたしはいろいろの道具を瓶《かめ》に入れて、侍郎橋《じろうきょう》の水のなかに隠してあります」
「だが、あすこは人足《ひとあし》の絶えないところだ。どうも取り出すに困る」と、獄卒は言った。
「それはこうするのです。お前さんの家《うち》の人が竹籃《たけかご》に着物をたくさん詰め込んで行って、橋の下で洗濯をするのです。そうして往来のすきをみて、その瓶を籃に入れて、上から洗濯物をかぶせて帰るのです」
獄卒は又その通りにすると、果たして種々の高価の品を見つけ出した。彼はいよいよ喜んで獄内へ酒を贈った。すると、ある夜の二更《にこう》(午後九時―十一時)に達する頃、賊は又もや獄卒にささやいた。
「わたしは表へちょっと出たいのですが……。四更(午前一時―三時)までには必ず帰ります」
「いけない」と、獄卒もさすがに拒絶した。
「いえ、決してお前さんに迷惑はかけません。万一わたしが帰って来なければ、お前さんは囚人《めしゅうど》を取り逃がしたというので流罪《るざい》になるかも知れませんが、これまで私のあげた物で不自由なしに暮らして行かれる筈です。もし私の頼みを肯《き》いてくれなければ、その以上に後悔することが出来るかも知れませんよ」
このあいだからの一件を、こいつの口からべらべら喋《しゃ》べられては大変である。獄卒も今さら途方にくれて、よんどころなく彼を出してやったが、どうなることかと案じていると、やがて檐《のき》の瓦を踏む音がして、彼は家根《やね》から飛び下りて来たので、獄卒は先
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