がら、大きい声で救いを呼んでいると、鬼はもう近いところまで追い迫って来ました。
お客人は気も魂も身に添わずというわけで、ころげ廻って逃げるうちに、力が尽きて地にたおれると、鬼はここぞと飛びかかって来るとき、たちまち柱に突き当って、がちりという音がしたかと思うと、それぎりでひっそりと鎮まってしまいました。そこへ大勢の僧が駈けつけて、半死半生でたおれているお客人を介抱して、さてそこらを検《あらた》めてみると、骸骨が柱にあたってばらばらに頽《くず》れていました。
その後に、その死人の家から棺をうけ取りに来ましたが、死骸が砕けているのを見て承知しません。なんでも寺《じ》ちゅうの者が棺をあばいたに相違ないといって、とうとう訴訟沙汰にまでなりましたが、当夜の事情が判明して無事に済みました」
土偶
鄭安恭《ていあんきょう》が肇慶《ちょうけい》の太守となっていた時のことである。
夜番の卒《そつ》が夜なかに城中を見まわると、城中の一つの亭《てい》に火のひかりの洩れているのを発見したので、怪しんでその火をたずねてゆくと、そこには十余人の男と五、六人の小児とが集まって博奕《ばくち》をしているのであった。卒は大胆な男であるので、進み寄って冗談半分に声をかけた。
「おい。おれにも銭《ぜに》をくれ」
彼が手を出すと、諸人は黙って銭をくれた。その額は三千銭ほどであった。夜が明けてからあらためると、それは本当の銅銭であったので、彼は大いに喜んだ。明くる晩もやはりその通りで、彼は又もや三千あまりの銭を貰って来た。それに味を占めて、彼は上役に巧く頼み込んで、以来は夜更けの見まわりを、自分ひとりが毎晩受持つことにした。そうして、相変らず賭博者の群れからテラ銭《せん》のようなものを受取っていたので、彼の懐中はいよいよ膨らんだ。
そのうちに、城中の軍資を入れてある庫《くら》のなかから銀数百両と銭数千|緡《びん》が紛失したことが発見されて、その賊の詮議が厳重になった。かの卒は近来俄かに銭使いがあらい上に、新しい着物などを拵《こしら》えたというのが目について、真っ先に捕えられて吟味を受けることになったので、彼も包み切れないで正直に白状した。太守の鄭はその賭博者の風俗や人相をくわしく取調べた後に、こう言った。
「それはまことの人ではあるまい。おそらく土偶《どぐう》のたぐいであろう」
そこで、かの卒を見知り人にして、他の役人らが付き添って、近所の廟をたずね廻らせると、城隍廟《じょうこうびょう》のうちに大小の土人形がならんでいる。その顔や形がそれらしいというので、試みに一つの人形の腹を毀《こわ》してみると、果たして銀があらわれた。つづいて他の人形を打ち砕くと、皆その腹に銀をたくわえていた。さらに足の下の土をほり返すと、土の中からもたくさんの銭《ぜに》が出た。
卒が貰った銭と、掘り出した銀と銭とを合算すると、あたかも紛失の金高に符合しているので、もう疑うところはなかった。
土人形は片っ端から打ち毀《こわ》された。その以来、怪しい賭博者は影をかくした。
野象の群れ
宋の乾道《けんどう》七年、縉雲《しんうん》の陳由義《ちんゆうぎ》が父をたずねるために※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]《みん》より広《こう》へ行った。その途中、潮《ちょう》州を過ぎた時に、土人からこんな話を聞かされた。
近年のことである。恵《けい》州の太守が一家を連れて、福《ふく》州から任地へ赴《おもむ》く途中、やはりこの潮州を通りかかると、元来このあたりには野生の象が多くて、数百頭が群れをなしている。時あたかも秋の刈り入れ時であるので、土地の農民らは象の群れに食いあらされるのを恐れて、その警戒を厳重にし、田と田のあいだに陥穽《おとしあな》を設けて、かれらの進入を防ぐことにしたので、象の群れは遠く眺めているばかりで、近寄ることが出来なかった。
かれらは腹立たしそうに唸っていたが、やがて群れをなして太守の一行を取り囲んだ。一行には二百人の兵が付き添っていたが、幾百という野象に囲まれては身動きも出来ない。なんとか賺《すか》して逐《お》いやろうとしても、かれらはなかなか立ち去らないで、一行を包囲すること半日以上にも及んだので、一行ちゅうの女子供は途方にくれた。そのなかには恐怖のあまりに気を失う者もできた。
こうなると、土地の者も見捨てては置かれないので、大勢が稲をになって来てその四方に積んだ。最初のうちは象も知らぬ顔をしていたが、だんだんにたくさん運ばれて、自分たちの食うには十分であることを見きわめた時に、かれらは初めて囲みを解いて、その稲を盛んに食いはじめた。かれらは太守の一行を人質《ひとじち》にして、自分たちの食料を強要したのである。
野獣の智、まことに及ぶべからずと
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