ぎょ》の大きいので、紅い旗のように見えたのは、その鱗《うろこ》や脊鰭《せびれ》でございます。あの魚とこの舟とは十五里も距《はな》れているのですが、もしあの魚がからだを一度ゆすぶったら、こんな舟は木の葉のようにくつがえされてしまいます。あの魚は北へのぼり、この舟は南へくだり、たがいに行き違いになりながら、この強い風に幾時間を費したのですから、おそらくかの魚の長さは幾百里というのでございましょう。考えても怖ろしいことでございます」
 荘子《そうじ》のいわゆる鯤鵬《こんぼう》の説も、必ずしも寓言《ぐうげん》ではないと、使いはさとった。

   ※[#「がんだれ+萬」、第3水準1−14−84]鬼《れいき》の訴訟

 秦棣《しんてい》が宣州の知事となっている時である。某村の民家で酒を密造しているのを知って、巡検をつかわして召捕らせた。
 巡検は数十人の兵を率いて、夜半にその家を取り囲むと、それは村内に知られた富豪であるので、夜なかに多勢《たぜい》が押し寄せて来たのを見て、賊徒の夜襲と早合点して、太鼓を鳴らして村内の者どもを呼びあつめた。その家にも大勢《おおぜい》の奉公人があるので、かれこれ一緒に協力して、巡検その他をことごとく捕縛してしまった。おれは役人であるといっても、激昂しているかれらは承知しないのである。
 それが県署にもきこえたので、県の尉《じょう》が早馬で駈け付けると右の始末である。何分にも夜中といい相手は多勢であるので、尉はまずいい加減にかれらをなだめた。
「よし、よし。お前の家で強盗どもを捕えたのは結構なことだ。ともかくもわたしの方へ引き渡してくれないか。おまえ達にも褒美をやるよ」
 だまされるとは知らないで、かれらは縄付きの巡検らをひき渡した。その家の主人と忰《せがれ》と孫との三人も、その事情を訴えるために付いて行った。さて行き着くと相手の態度は俄かに変って、知事の秦棣《しんてい》は巡検らの縄を解いて、あべこべにかの親子ら三人を引っくくった。
「役人を縛って、強盗呼ばわりをするとは不届きな奴らだ」
 かれらはからだ全体を麻縄で厳重にくくり上げられて、いずれも一百ずつ打たれた。縄を解くと、三人はみな息が絶えていた。それはあまりに苛酷の仕置きであるという批難もあったが、秦棣の兄は宰相《さいしょう》であるので、誰も表向きに咎める者はなかった。但し秦棣はその明くる年に
前へ 次へ
全18ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング