さげることは出来ないのです」
 かれらは汪のいましめを解いて、昨夜来の無礼をあつく詫びた上に、官道までつつがなく送り出して、この事はかならず他言して下さるなと、堅く頼んで別れた。

   床下の女

 宋《そう》の紹興《しょうこう》三十二年、劉子昂《りゅうしこう》は和州《わしゅう》の太守に任ぜられた。やがて淮上《わいしょう》の乱も鎮定したので、独身で任地にむかい、官舎に生活しているうちに、そこに出入りする美婦人と親しくなって、女は毎夜忍んで来た。
 それが五、六カ月もつづいた後、劉は天慶観《てんけいかん》へ参詣すると、そこにいる老道士が彼に訊《き》いた。
「あなたの顔はひどく痩せ衰えて、一種の妖気を帯びている。何か心あたりがありますか」
 劉も最初は隠していたが、再三問われて遂に白状した。
「実は妾《しょう》を置いています」
「それで判りました」と、道士はうなずいた。「その婦人はまことの人ではありません。このままにして置くと、あなたは助からない。二枚の神符《しんぷ》をあげるから、夜になったら戸外に貼りつけて置きなさい」
 劉もおどろいて二枚の御符を貰って帰って、早速それを戸の外に貼って置くと、その夜半に女が来て、それを見て怨み罵った。
「今まで夫婦のように暮らしていながら、これは何のことです。わたしに来るなと言うならば、もう参りません。決して再びわたしのことを憶《おも》ってくださるな」
 言い捨てて立ち去ろうとするらしいので、劉はまた俄かに未練が出て、急にその符を引っぱがして、いつもの通りに女を呼び入れた。
 それから数日の後、かの道士は役所へたずねて来た。かれは劉をひと目見て眉をひそめた。
「あなたはいよいよ危うい。実に困ったものです。しかし、ともかくも一応はその正体をごらんに入れなければならない」
 道士は人をあつめて数十|荷《か》の水を運ばせ、それを堂上にぶちまけさせると、一方の隅の五、六尺ばかりの所は、水が流れてゆくと直ぐに乾いてしまうのである。そこの床下を掘らせると、女の死骸があらわれた。よく見ると、それはかの女をそのままであるので、劉は大いに驚かされた。彼はそれから十日を過ぎずして死んだ。

   餅を買う女

 宣城《せんじょう》は兵乱の後、人民は四方へ離散して、郊外の所々に蕭条《しょうじょう》たる草原が多かった。
 その当時のことである。民家の妻が妊
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