平広記』編集者の一人にも加えられて居ります。兄弟ともに有名の学者で、兄の徐鉉を大徐、弟の徐※[#「金+皆」、第4水準2−91−14]《じょかい》を小徐と言い伝えているそうでございます。女のくせに、知ったか振りをいたすのは恐れ入りますから、前置きはこのくらいにして、すぐに本文《ほんもん》に取りかかることに致します」
廬山の廟
庚寅《こういん》の年、江西の節度使の徐知諫《じょちかん》という人が銭《ぜに》百万をもって廬山使者の廟《びょう》を修繕することになりました。そこで、潯陽《じんよう》の県令が一人の役人をつかわして万事を取扱わせると、その役人は城中へはいって、一人の画工を召出して、自分と一緒に連れて行きました。
画工は画《え》の具その他をたずさえて、役人に伴われて行きますと、どういうわけか、城の門を出る頃からその役人はただ昏々《こんこん》として酔えるが如きありさまで、自分の腰帯をはずして地に投げ付けたりするのです。
「この人は酔っているのだな」と、画工は思いました。
そこで忤《さか》らわずに付いてゆくと、役人はやがてまた、着物をぬぎ、帽子をぬぐという始末で、山へ登る頃には
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