、その近所を通らないがよろしゅうございます」
時は冬の最中《さなか》で、気候も甚だ寒かったので、今ごろ蛇の出る筈はないと、書生は肯《き》かずにその沼へさしかかった。行くこと二十里余、たちまち大蛇があらわれて書生のあとを追って来た。書生はその蛇の形や色を見おぼえていた。
「おまえは担生ではないか」
それを聞くと、蛇はかしらを垂れて、やがてしずかに立ち去った。書生は無事に范県にゆき着くと、県令は蛇を見たかと訊いた。見たと答えると、その蛇に逢いながら無事であったのは怪しいというので、書生はひとまず獄屋につながれた。結局、彼も妖妄《ようもう》の徒であると認められて、死刑におこなわれることになった。書生は心中大いに憤った。
「担生の奴め。おれは貴様を養ってやったのに、かえっておれを死地におとしいれるとは何たることだ」
蛇はその夜、県城を攻め落して一面の湖《みずうみ》とした。唯その獄屋だけには水が浸《ひた》さなかったので、書生は幸いに死をまぬかれた。
天宝の末年に独孤暹《どっこせん》という者があって、その舅《しゅうと》は范県の県令となっていた。三月三日、家内の者どもと湖水に舟を浮かべている
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