来たが、そのなかに※[#「うかんむり/必/冉」、82−15]采《ねいさい》という画家もまじっていた。
 その※[#「うかんむり/必/冉」、82−16]采があるとき竹林《ちくりん》の七賢人《しちけんじん》の図をかいて、それが甚だ巧みに出来たので、観る者いずれも感嘆していると、一坐の客のうちに郭萱《かくけん》といい柳城《りゅうじょう》という二人の秀才があって、たがいに平生から軋《きし》り合っていたが、柳城はその図をひとめ見て、あざ笑いながら主人の冉従長に言った。
「この画は人間の体勢に巧みであるが、人間の意趣《いしゅ》というものが本当に現われていない。わたしはこの画に対してなんらの筆を着けずに、一層の精彩を加えてお見せ申そうと思うが、いかがでしょう」
 冉はすこし驚いた。
「あなたにどんな芸があるか知らないが、なんらの筆を加えずに、この画の精彩を添えるというようなことが出来ますか」
「それは出来ます」と、柳は平気で答えた。「わたしはこの画のなかへはいって直すのです」
 それを聞いて、郭萱も笑い出した。
「子供だましのような事を言ってはいけない。なんにも筆を入れないで、あの画を直すことが出来る筈がないではないか」
「いや、それが出来るのだ」
「出来るものか」
「そんなら賭けをするか」と、柳は言った。
「むむ、五千の銭《ぜに》を賭ける」
 郭は銭を賭けることになった。主人の冉も賭けた。すると、柳は壁にかけてある画の前に立ったかと思うと、忽ちに身を跳《おど》らせて消えてしまったので、一坐の者はみな驚いて、ここかそこかと探し廻ったが、どこにもその姿はみえなかった。やがて、画の中から柳の声が聞えた。
「おい、郭君。まだおれの言うことを信じないのか」
 一坐は又おどろいて眺めていると、柳は再び姿をあらわして、画の上から降りて来た。そうして、七賢人のうちの阮籍《げんせき》を指さした。
「みんなが待ち遠しいだろうと思いましたから、唯あれだけを繕《つくろ》って置きました」
 人びとは眼を定めてよく視ると、なるほど阮籍だけは以前の図と違って、その口は仰いでうそぶくがごとくに見えたので、いずれもいよいよ驚嘆した。冉も郭も彼が道士の道に精通していることを初めて覚《さと》った。
 こんな噂が世間に拡まっては、身の禍いになると思ったらしい。それから五、六日の後に、柳はそこを立ち去って行くえを晦《くら》ました。

   北斗七星の秘密

 唐の玄宗《げんそう》皇帝の代に、一行《いちぎょう》という高僧があって、深く皇帝の信任を得ていた。
 一行は幼いとき甚だ貧窮であって、隣家の王《おう》という老婆から常に救われていた。彼は立身の後もその恩を忘れず、なにか王婆に酬《むく》いたいと思っていると、あるとき王婆の息子が人殺しの罪に問われることになったので、母は一行のところへ駈け付けて、泣いて我が子の救いを求めたが、彼は一応ことわった。
「わたしは決して昔の恩を忘れはしない。もし金や帛《きぬ》が欲しいというのならば、どんなことでも肯《き》いてあげる。しかし明君が世を治めている今の時代に、人殺しの罪を赦《ゆる》すなどということは出来るものでない。たとい私から哀訴したところで、上《かみ》でお取りあげにならないに決まっているから、こればかりは私の力にも及ばないと諦めてもらいたい」
 それを聞いて、王婆は手を戟《ほこ》にして罵った。
「なにかの役にも立とうかと思えばこそ、久しくお前の世話をしてやったのだ。まさかの時にそんな挨拶を聞くくらいなら、お前なんぞに用はないのだ」
 彼女は怒って立ち去ろうとするのを、一行は追いかけて、頻《しき》りによんどころない事情を説明して聞かせたが、王婆は見返りもせずに出て行ってしまった。
「どうも困ったな」
 一行は思案の末に何事をか考え付いた。都の渾天寺《こんてんじ》は今や工事中で、役夫《えきふ》が数百人もあつまっている。その一室を空《から》明きにさせて、まん中に大|瓶《かめ》を据えた。それから又、多年召仕っている僕《しもべ》二人を呼んで、大きい布嚢《ぬのぶくろ》を授けてささやいた。
「町の角に、住む人もない荒園《あれにわ》がある。おまえ達はそこへ忍び込んで、午《うま》の刻《こく》(午前十一時―午後一時)から夕方まで待っていろ。そうすると七つの物がはいって来る。それを残らずこの嚢に入れて来い。数は七つだぞ。一つ不足しても勘弁しないからそう思え」
 僕どもは指図通りにして待っていると、果たして酉《とり》の刻(午後五時―七時)を過ぎる頃に、荒園の草をふみわけて豕《いのこ》の群れがはいってきたので、一々に嚢をかぶせて捕えると、その数はあたかも七頭であった。持って帰ると、一行は大いに喜んで、その豕をかの瓶のなかに封じ込めて、木の蓋をして、上に大きい梵字《ぼ
前へ 次へ
全11ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング