暗い。途中で気がついてみると、馬上の主人はいつか行くえ不明になって、馬ばかり残っているのである。さあ大騒ぎになって、再び駅舎へ引っ返して詮議すると、西の部屋に白骨が見いだされた。肉もない、血も流れていない。ただそのそばに残っていた靴の一足によって、それが張の遺骨であることを知り得たに過ぎなかった。
 こうしてみると、それが普通の賊の仕業《しわざ》でないことは判り切っていた。駅の役人も役目の表として賊を捕えるなどと騒ぎ立てているものの、孟にむかって窃《ひそ》かにこんなことを洩らした。
「この駅の宿舎には昔から凶《わる》いことがしばしばあるのですが、その妖怪の正体は今にわかりません」

   小人

 唐の太和《たいわ》の末年である。松滋《しょうじ》県の南にひとりの士があって、親戚の別荘を借りて住んでいた。初めてそこへ着いた晩に、彼は士人の常として、夜の二更(午後九時―十一時)に及ぶ頃まで燈火《ともしび》のもとに書を読んでいると、たちまち一人の小さい人間が門から進み入って来た。
 人間といっても、かれは極めて小さく、身の丈《たけ》わずかに半寸に過ぎないのである。それでも葛《くず》の衣《きもの》を着て、杖を持って、悠然とはいり込んで来て、大きい蠅《はえ》の鳴くような声で言った。
「きょう来たばかりで、ここには主人もなく、あなた一人でお寂しいであろうな」
 こんな不思議な人間が眼の前にあらわれて来ても、その士は頗る胆力があるので、素知らぬ顔をして書物を読みつづけていると、かの人間は機嫌を損じた。
「お前はなんだ。主人と客の礼儀をわきまえないのか」
 士はやはり相手にならないので、かれは机の上に登って来て、士の読んでいる書物を覗いたりして、しきりに何か悪口を言った。それでも士は冷然と構えているので、かれも燥《じ》れてきたとみえて、だんだんに乱暴をはじめて、そこにある硯《すずり》を書物の上に引っくり返した。士もさすがにうるさくなったので、太い筆をとってなぐり付けると、彼は地に墜《お》ちてふた声三声叫んだかと思うと、たちまちにその姿は消えた。
 暫くして、さらに四、五人の女があらわれた。老いたのもあれば、若いのもあり、皆そのたけは一寸ぐらいであったが、柄にも似合わない大きい声をふり立てて、士に迫って来た。
「あなたが独りで勉強しているのを見て、殿さまが若殿をよこして、学問の奥義《おうぎ》を講釈させて上げようと思ったのです。それが判らないで、あなたは乱暴なことをして、若殿にお怪我をさせるとは何のことです。今にそのお咎《とが》めを蒙《こうむ》るから、覚えておいでなさい」
 言うかと思う間もなく、大勢《おおぜい》の小さい人間が蟻《あり》のように群集してきて、机に登り、床にのぼって、滅茶苦茶に彼をなぐった。士もなんだか夢のような心持になって、かれらを追い攘《はら》うすべもなく、手足をなぐられるやら、噛まれるやら、さんざんの目に逢わされた。
「さあ、早く行け。さもないと貴様の眼をつぶすぞ」と、四、五人は彼の面《かお》にのぼって来たので、士はいよいよ閉口した。
 もうこうなれば、かれらの命令に従うのほかはないので、士はかれらに導かれて門を出ると、堂の東に節使衙門《せつしがもん》のような小さい門がみえた。
「この化け物め。なんで人間にむかって無礼を働くのだ」と、士は勇気を回復して叫んだが、やはり多勢《たぜい》にはかなわない。又もやかれらに噛まれて撲られて、士は再びぼんやりしているうちに、いつか其の小さい門の内へ追いこまれてしまった。
 見れば、正面に壮大な宮殿のようなものがあって、殿上には衣冠の人が坐っている。階下には侍衛らしい者が、数千人も控えている。いずれも一寸あまりの小さい人間ばかりである。衣冠の人は士を叱った。
「おれは貴様が独りでいるのを憐れんで、話し相手に子供を出してやると、飛んでもない怪我をさせた。重々《じゅうじゅう》不埒《ふらち》な奴だ。その罪を糺《ただ》して胴斬りにするから覚悟しろ」
 指図にしたがって、数十人が刃《やいば》をぬき連れてむかって来たので、士は大いに懼《おそ》れた。彼は低頭して自分の罪を謝すと、相手の顔色も少しくやわらいだ。
「ほんとうに後悔したのならば、今度だけは特別をもって赦《ゆる》してやる。以後つつしめ」
 士もほっとして送りだされると、いつか元の門外に立っていた。時はすでに五更で、部屋に戻ると、机の上には読書のともしびがまだ消え残っていた。
 あくる日、かの怪しい奴らの来たらしい跡をさがしてみると、東の古い階段の下に、粟粒《あわつぶ》ほどの小さい穴があって、その穴から守宮《やもり》が出這入りしているのを発見した。士はすぐに幾人の人夫を雇って、その穴をほり返すと、深さ数丈のところにたくさんの守宮が棲んでいて、その大き
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング