、歯に沁みるほどに冷たくなっていた。和子は急いで我が家へ帰って、衣類諸道具を売り払って四十万の紙銭《しせん》を買った。
 約束の時刻に酒を供えて、かの紙銭を焚《や》くと、きのうの二人があらわれてその銭を持って行くのを見た。それから三日の後に、和子は死んだ。
 鬼界の三年は、人間の三日であった。

   唐櫃の熊

 唐の寧王《ねいおう》が※[#「「樗」のつくり+おおざと」、105−2]《ちょ》県の界《さかい》へ猟《かり》に出て、林のなかで獲物《えもの》をさがしていると、草の奥に一つの櫃《ひつ》を発見した。蓋《ふた》の錠が厳重に卸《おろ》してあるのを、家来に命じてこじ明けさせると、櫃の内から一人の少女が出た。その子細をたずねると、彼女は答えた。
「わたくしは姓を莫《ばく》と申しまして、父はむかし仕官の身でござりました。昨夜|劫盗《ごうとう》に逢いましたが、そのうちの二人は僧で、わたくしを拐引《かどわか》してここへ運んで参ったのでござります」
 愁《うれ》いを含んで訴える姿は、又なく美しく見えたので、王は悦《よろこ》んで自分の馬へ一緒に乗せて帰った。そのときあたかも一頭の熊を獲たので、少女の身代りにその熊を櫃に入れて、もとの如くに錠をおろして置いた。
 その頃、帝は美女を求めていたので、王はかの少女を献上し、且つその子細を申し立てると、帝はそれを宮中に納《い》れて才人《さいじん》の列に加えた。それから三日の後に、京兆の役人が奏上した。
 ※[#「「樗」のつくり+おおざと」、105−12]県の食店へ二人の僧が来て、一昼夜万銭で部屋を借り切りにした。何か法事をおこなうのだといっていたが、ただ一つの櫃を舁《か》き込んだだけであった。その夜ふけに、ばたばたいう音がきこえて、翌あさの日の出る頃まで戸を明けないので、店の主人が怪しんで、戸をあけて窺うと、内から一頭の熊が飛び出して、人を突き倒して走り去った。二人の僧は熊に啖《く》われたと見えて、骸骨をあらわして死んでいた。
 帝はその奏聞《そうもん》を得て大いに笑った。すぐに寧王のもとへその事を知らせてやって、君はかの悪僧らをうまく処置してくれたと褒めた。少女は新しい唄を歌うのが上手で、莫才人囀《ばくさいじんてん》と言いはやされた。

   徐敬業

 唐の徐敬業《じょけいぎょう》は十余歳にして弾射を好んだ。小弓をもって弾丸を射るの
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