思ったら、妬婦津の渡し場に立っていろ。渡る女のよいか醜いかは自然にわかる」

   悪少年

 元和《げんな》の初年である。都の東市に李和子《りわし》という悪少年があって、その父を努眼《どがん》といった。和子は残忍の性質で、常に狗《いぬ》や猫を掻っさらって食い、市中の害をなす事が多かった。
 彼が鷹《たか》を臂《ひじ》に据えて往来に立っていると、紫の服を着た男二人が声をかけた。
「あなたは李努眼の息子さんで、和子という人ではありませんか」
 和子がそうだと答えて会釈《えしゃく》すると、二人はまた言った。
「少し子細《しさい》がありますから、人通りのない所で話しましょう」
 五、六歩さきの物蔭へ連れ込んで、われわれは冥府の使いであるから一緒に来てくれと言ったが、和子はそれを信じなかった。
「おまえ達は人間ではないか。なんでおれを欺《だま》すのだ」
「いや、われわれは鬼《き》である」
 ひとりがふところを探って一枚の諜状を取り出した。印《いん》の痕もまだあざやかで、李和子の姓名も分明にしるしてあった。彼に殺された犬猫四百六十頭の訴えに因って、その罪を論ずるというのである。
 和子も俄かにおどろき懼《おそ》れて、臂の鷹をすてて拝礼し、その上にこう言った。
「わたくしも死を覚悟しました。しかしちっとのあいだ猶予して、わたくしに一杯飲ませてください」
 あなた方にも飲ませるからと言って、無理に勧《すす》めてそこらの店屋へ案内したが、二人は鼻を掩《おお》うてはいらない。さらに杜《と》という相当の料理屋へ連れ込んだが、二人のすがたは他人に見えず、和子が独りで何か話しているので、気でも違ったのではないかと怪しまれた。彼は九碗の酒を注文して、自分が三碗を飲み、余の六碗を西の座に据えて、なんとか助けてもらう方便はあるまいかと頼んだ。
 二人は顔をみあわせた。
「われわれも一酔の恩を受けたのであるから、なんとか取り計らうことにしましょう。では、ちょっと行って来るから待っていて下さい」
 出て行ったかと思うと、二人は又すぐに帰って来た。
「君が四十万の銭《ぜに》をわきまえるならば、三年の命を仮《か》すことにしましょう」
 和子は承諾して、あしたの午《うま》の刻までにその銭を調えることに約束した。二人は酒の代を払った上に、その酒を和子に返した。で、彼は試みに飲んでみると、その味は水のごとくで
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