うしてお退がりになったのです」
 妻は怪しんでいろいろにたずねたが、董はすべて答えなかった。そうして、無言のままに再びそこを出て、家に飼ってある※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]籠《とりかご》のまわりを繞《めぐ》ってゆくかと思うと、籠のうちの※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》が俄かに物におどろいたように消魂《けたたま》しく叫んだ。妻はいよいよ怪しんで、火を照らして窺うと、籠のそばにはおびただしい血が流れていた。
「さては凶事があったに相違ない」
 母も妻も一家こぞって泣き悲しんでいると、果たして夜が明けてから主人の死が伝えられた。

   蛮人の奇術

 魏《ぎ》のとき、尋陽《じんよう》県の北の山中に怪しい蛮人が棲んでいた。かれは一種の奇術を知っていて、人を変じて虎とするのである。毛の色から爪や牙《きば》に至るまで、まことの虎にちっとも変らず、いかなる人をも完全なる虎に作りかえてしまうのであった。
 土地の周《しゅう》という家に一人の奴僕《しもべ》があった。ある日、薪《たきぎ》を伐るために、妻と妹をつれて山の中へ分け入ると
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