た》ち割って臓腑をつかみ出し、さらに自分の首を切り、手足を切った。桓温は驚き怖れて逃げ帰ると、暫くして尼僧は浴室を出て来たが、その身体は常のごとくであるので、彼は又おどろかされた。しかも彼も一個の豪傑であるので、尼僧に対して自分の見た通りを正直に打ちあけて、さてその子細を聞きただすと、尼僧はおごそかに答えた。
「もし上《かみ》を凌ごうとする者があれば、皆あんな有様になるのです」
 桓温は顔の色を変じた。実をいえば、彼は多年の威力を恃《たの》んで、ひそかに謀叛《むほん》を企てていたのであった。その以来、彼は懼《おそ》れ戒《いまし》めて、一生無事に臣節を守った。尼僧はやがてここを立ち去って行くえが知れなかった。
 尼僧の教えを奉じた桓温は幸いに身を全うしたが、その子の桓玄《かんげん》は謀叛を企てて、彼女の予言通りに亡ぼされた。

   夫の影

 東晋《とうしん》の董寿《とうじゅ》が誅せられた時、それが夜中であったので、家内の者はまだ知らなかった。
 董の妻はその夜唯ひとりで坐っていると、たちまち自分のそばに夫の立っているのを見た。彼は無言で溜め息をついているのであった。
「あなた、今頃ど
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