いる。これは魏《ぎ》王|曹操《そうそう》の船であると伝えられている。
ある時、漁師が夜中に船を繋いでいると、そのあたりに笛や歌の声がきこえて、香《こう》の匂いが漂っていた。漁師が眠りに就くと、なにびとか来て注意した。
「官船に近づいてはならぬぞ」
おどろいて眼をさまして、漁師はわが船を他の場所へ移した。沈んでいる船は幾人の歌妓《うたひめ》を載せて来て、ここの浦で顛覆《てんぷく》したのであるという。
凶宅
宋の襄城《じょうじょう》の李頤《りい》、字《あざな》は景真《けいしん》、後に湘東《しょうとう》の太守になった人であるが、その父は妖邪を信じない性質であった。近所に一軒の凶宅があって、住む者はかならず死ぬと言い伝えられているのを、父は買い取って住んでいたが、多年無事で子孫繁昌した。
そのうちに、父は県知事に昇って移転することになったので、内外の親戚らを招いて留別《りゅうべつ》の宴を開いた。その宴席で父は言った。
「およそ天下に吉だとか凶だとかいう事があるだろうか。この家もむかしから凶宅だといわれていたが、わたしが多年住んでいるうちに何事もなく、家はますます繁昌して今度も
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