中国怪奇小説集
捜神後記(六朝)
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)東晋《とうしん》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大司馬|桓温《かんおん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]籠《とりかご》
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第二の男は語る。
「次へ出まして、わたくしは『捜神後記』のお話をいたします。これは標題の示す通り、かの『捜神記』の後編ともいうべきもので、昔から東晋《とうしん》の陶淵明《とうえんめい》先生の撰ということになって居りますが、その作者については種々の議論がありまして、『捜神記』の干宝よりも、この陶淵明は更に一層疑わしいといわれて居ります。しかしそれが偽作であるにもせよ、無いにもせよ、その内容は『捜神記』に劣らないものでありまして、『後記』と銘を打つだけの価値はあるように思われます。これも『捜神記』に伴って、早く我が国に輸入されまして、わが文学上に直接間接の影響をあたうること多大であったのは、次の話をお聴きくだされば、大抵お判りになるだろうかと思います」
貞女峡
中宿《ちゅうしゅく》県に貞女峡《ていじょこう》というのがある。峡の西岸の水ぎわに石があって、その形が女のように見えるので、その石を貞女と呼び慣わしている。伝説によれば、秦の時代に数人の女がここへ法螺貝《ほらがい》を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化していたというのである。
怪比丘尼
東晋《とうしん》の大司馬|桓温《かんおん》は威勢|赫々《かくかく》たるものであったが、その晩年に一人の比丘尼《びくに》が遠方からたずねて来た。彼女は才あり徳ある婦人として、桓温からも大いに尊敬され、しばらく其の邸内にとどまっていた。
唯《ただ》ひとつ怪しいのは、この尼僧の入浴時間の甚だ久しいことで、いったん浴室へはいると、時の移るまで出て来ないのである。桓温は少しくそれを疑って、ある時ひそかにその浴室を窺うと、彼は異常なる光景におびやかされた。
尼僧は赤裸《あかはだか》になって、手には鋭利らしい刀を持っていた。彼女はその刀をふるって、まず自分の腹を截《た》ち割って臓腑をつかみ出し、さらに自分の首を切り、手足を切った。桓温は驚き怖れて逃げ帰ると、暫くして尼僧は浴室を出て来たが、その身体は常のごとくであるので、彼は又おどろかされた。しかも彼も一個の豪傑であるので、尼僧に対して自分の見た通りを正直に打ちあけて、さてその子細を聞きただすと、尼僧はおごそかに答えた。
「もし上《かみ》を凌ごうとする者があれば、皆あんな有様になるのです」
桓温は顔の色を変じた。実をいえば、彼は多年の威力を恃《たの》んで、ひそかに謀叛《むほん》を企てていたのであった。その以来、彼は懼《おそ》れ戒《いまし》めて、一生無事に臣節を守った。尼僧はやがてここを立ち去って行くえが知れなかった。
尼僧の教えを奉じた桓温は幸いに身を全うしたが、その子の桓玄《かんげん》は謀叛を企てて、彼女の予言通りに亡ぼされた。
夫の影
東晋《とうしん》の董寿《とうじゅ》が誅せられた時、それが夜中であったので、家内の者はまだ知らなかった。
董の妻はその夜唯ひとりで坐っていると、たちまち自分のそばに夫の立っているのを見た。彼は無言で溜め息をついているのであった。
「あなた、今頃どうしてお退がりになったのです」
妻は怪しんでいろいろにたずねたが、董はすべて答えなかった。そうして、無言のままに再びそこを出て、家に飼ってある※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]籠《とりかご》のまわりを繞《めぐ》ってゆくかと思うと、籠のうちの※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》が俄かに物におどろいたように消魂《けたたま》しく叫んだ。妻はいよいよ怪しんで、火を照らして窺うと、籠のそばにはおびただしい血が流れていた。
「さては凶事があったに相違ない」
母も妻も一家こぞって泣き悲しんでいると、果たして夜が明けてから主人の死が伝えられた。
蛮人の奇術
魏《ぎ》のとき、尋陽《じんよう》県の北の山中に怪しい蛮人が棲んでいた。かれは一種の奇術を知っていて、人を変じて虎とするのである。毛の色から爪や牙《きば》に至るまで、まことの虎にちっとも変らず、いかなる人をも完全なる虎に作りかえてしまうのであった。
土地の周《しゅう》という家に一人の奴僕《しもべ》があった。ある日、薪《たきぎ》を伐るために、妻と妹をつれて山の中へ分け入ると
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