と、五、六日の後にまったく蘇生した。
妾の話によると、その十年のあいだ、死んだ父が常に飲み食いの物を運んでくれた。そうして、生きている時と同じように、彼女と一緒に寝起きをしていたのみか、自宅に吉凶のことある毎《ごと》に、一々彼女に話して聞かせたというのである。あまりに不思議なことであるので、干宝兄弟は試みに彼女に問いただしてみると、果たして彼女は父が死後の出来事をみなよく知っていて、その言うところがすべて事実と符合するのであった。彼女はその後幾年を無事に送って、今度はほんとうに死んだ。
干宝は『捜神記』の著者である。彼が天地のあいだに幽怪神秘のことあるを信じて、その述作に志すようになったのは、少年時代におけるこの実験に因ったのであると伝えられている。
大蛟
安城平都《あんじょうへいと》県の尹氏《いんし》の宅は郡の東十里の日黄《じつこう》村にあって、そこに小作人《こさくにん》も住んでいた。
元嘉《げんか》二十三年六月のことである。ことし十三になる尹氏の子供が、小作の小屋の番をしていると、一人の男が来た。男は年ごろ二十《はたち》ぐらいで、白い馬に騎《の》って繖《かさ》をささせていた。ほかに従者四人、みな黄衣を着て東の方から来たが、ここの門前に立って尹氏の子供を呼び出し、暫く休息させてくれと言った。承知して通すと、男は庭へはいって床几《しょうぎ》に腰をおろした。従者の一人が繖をさしかけていた。見ると、この人たちの着物には縫い目がなく、鱗《うろこ》のような五色の斑《ふ》があって、毛がなかった。やがて雨を催して来ると、男は馬に騎《の》った。
「あしたまた来ます」と、彼は子供を見かえって言った。その去るところを見ると、この一行は西へむかい、空を踏んで次第に高く昇って行った。暫くすると、雲が四方から集まって白昼も闇のようになった。
その翌日、俄かに大水が出て、山も丘も谷もみなひたされ、尹の小作小屋もまさに漂い去ろうとした。このとき長さ三丈とも見える大きい蛟《みずち》があらわれて、身をめぐらして此の家を護った。
白水素女
晋の安帝《あんてい》のとき、候官《こうかん》県の謝端《しゃたん》は幼い頃に父母をうしない、別に親類もないので、となりの人に養育されて成長した。
謝端はやがて十七、八歳になったが、努《つと》めて恭謹の徳を守って、決して非法の事をしな
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