かった。初めて家を持った時には、いまだ定まる妻がないので、となりの人も気の毒に思って、然るべき妻を探してやろうと心がけていたが、相当の者も見付からなかった。
彼は早く起き、遅く寝て、耕作に怠りなく働いていると、あるとき村内で大きい法螺貝《ほらがい》を見つけた。三升入りの壺ほどの大きい物である。めずらしいと思って持ち帰って、それを甕《かめ》のなかに入れて置いた。その後、彼はいつもの如くに早く出て、夕過ぎに帰ってみると、留守のあいだに飯や湯の支度がすっかり出来ているのである。おそらく隣りの人の親切であろうと、数日の後に礼を言いに行くと、となりの人は答えた。
「わたしは何もしてあげた覚えはない。おまえはなんで礼をいうのだ」
謝端にも判《わか》らなくなった。しかも一度や二度のことではないので、彼はさらに聞きただすと、隣りの人はまた笑った。
「おまえはもう女房をもらって、家のなかに隠してあるではないか。自分の女房に煮焚《にた》きをさせて置きながら、わたしにかれこれ言うことがあるものか」
彼は黙って考えたが、何分にも理屈が呑み込めなかった。次の日は早朝から家を出て、また引っ返して籬《かき》の外から窺っていると、一人の少女が甕の中から出て、竈《かまど》の下に火を焚きはじめた。彼は直ぐに家へはいって甕のなかをあらためると、かの法螺貝は見えなくて、竈の下の女を見るばかりであった。
「おまえさんはどこから来て、焚き物をしていなさるのだ」と、彼は訊いた。
女は大いに慌てたが、今さら甕のなかへ帰ろうにも帰られないので、正直に答えた。
「わたしは天漢《てんかん》の白水素女《はくすいそじょ》です。天帝はあなたが早く孤児《みなしご》になって、しかも恭謹の徳を守っているのをあわれんで、仮りにわたしに命じて、家を守り、煮焚きのわざを勤めさせていたのです。十年のうちにはあなたを富ませ、相当の妻を得るようにして、わたしは帰るつもりであったのですが、あなたはひそかに窺ってわたしの形を見付けてしまいました。もうこうなっては此処《ここ》にとどまることは出来ません。あなたはこの後も耕し、漁《すなど》りの業《わざ》をして、世を渡るようになさるがよろしい。この法螺貝を残して行きますから、これに米穀《べいこく》をたくわえて置けば、いつでも乏《とぼ》しくなるような事はありません」
それと知って、彼はしきりにと
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