取ろうとした。この寺ではかねて供養に用いる諸道具を別室に蔵《おさ》めてあったので、賊はその室《へや》の戸を打ち毀《こわ》して踏み込むと、忽ちに法衣《ころも》を入れてある革籠《かわご》のなかから幾万匹の蜜蜂が飛び出した。その幾万匹が一度に群がって賊を螫《さ》したので、かれらも狼狽した。ある者は体じゅうを螫され、ある者は眼を突きつぶされ、初めに掠奪した獲物をもみな打ち捨てて、転げまわって逃げ去った。

   犬妖

 林慮山《りんりょざん》の下に一つの亭がある。ここを通って、そこに宿る者はみな病死するということになっている。あるとき十余人の男おんなが入りまじって博奕《ばくち》をしているのを見た者があって、かれらは白や黄の着物をきていたと伝えられた。
 ※[#「至+おおざと」、第3水準1−92−67]伯夷《しつはくい》という男がそこに宿って、燭《しょく》を照らして経《きょう》を読んでいると、夜なかに十余人があつまって来て、彼と列《なら》んで坐を占めたが、やがて博奕の勝負をはじめたので、※[#「至+おおざと」、第3水準1−92−67]はひそかに燭をさし付けて窺うと、かれらの顔はみな犬であった。そこで、燭を執って起《た》ちあがる時、かれは粗相《そそう》の振りをして、燭の火をかれらの着物にこすり付けると、着物の焦げるのがあたかも毛を燃やしたように匂ったので、もう疑うまでもないと思った。
 かれは懐ろ刀をぬき出して、やにわにその一人を突き刺すと、初めは人のような叫びを揚げたが、やがて倒れて犬の姿になった。それを見て、他の者どもはみな逃げ去った。

   干宝の父

 東晋の干宝《かんぽう》は字《あざな》を令升《れいしょう》といい、その祖先は新蔡《しんさい》の人である。かれの父の瑩《けい》という人に一人の愛妾があったが、母は非常に嫉妬ぶかい婦人で、父が死んで埋葬する時に、ひそかにその妾をも墓のなかへ押し落して、生きながらに埋めてしまった。当時、干宝もその兄もみな幼年であったので、そんな秘密をいっさい知らなかったのである。
 それから十年の後に、母も死んだ。その死体を合葬するために父の墓をひらくと、かの妾が父の棺の上に俯伏しているのを発見した。衣服も生きている時の姿と変らず、身内もすこしく温かで、息も微かにかよっているらしい。驚き怪しんで輿《こし》にかき乗せ、自宅へ連れ戻って介抱する
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