っぽんは非常に足が疾《はや》いので遂に捉えることが出来ず、近所の川へ逃げ込ませてしまった。
それから幾日の後、かのすっぽんは再び姿をあらわして、宋の家のまわりを這い歩いていたが、又もや去って水に隠れた。
近所の人は宋にむかって母の喪服を着けろと勧めたが、たとい形を変じても母はまだ生きているのであると言って、彼は喪服を着けなかった。
青牛
秦《しん》の時、武都《ぶと》の故道に怒特《どとく》の祠《やしろ》というのがあって、その祠のほとりに大きい梓《あずさ》の樹が立っていた。
秦の文公《ぶんこう》の、二十七年、人をつかわしてその樹を伐らせると、たちまちに大風雨が襲い来たって、その切り口を癒合《ゆごう》させてしまうので、幾日を経ても伐り倒すことが出来ない。文公は更に人数を増して、四十人の卒に斧《おの》を執《と》らせたが、なおその目的を達することが出来ないので、卒もみな疲れ果てた。
その一人は足を傷つけて宿舎へも帰られず、かの樹の下に転がったままで一夜を明かすと、夜半に及んで何者か尋ねて来たらしく、樹にむかって話しかけた。
「戦いはなかなか骨が折れるだろう」
「なに、骨が折れ
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