を登り、谷に下って石室《いしむろ》のなかにとどまった。王は悲しんで、ときどきその様子を見せにやると、いつでも俄かに雨風が起って、山は震い、雲は晦《くら》く、無事にその石室まで行き着くものはなかった。
それから三年ほどのあいだに、少女は六人の男と六人の女を生んだ。かれらは木の皮をもって衣服を織り、草の実をもって五色に染めたが、その衣服の裁ち方には尾の形が残っていた。盤瓠が死んだ後、少女は王城へ帰ってそれを語ったので、王は使いをやってその子ども達を迎い取らせたが、その時には雨風の祟《たた》りもなかった。
しかし子供たちの服装は異様であり、言葉は通ぜず、行儀は悪く、山に棲むことを好んで都を嫌うので、王はその意にまかせて、かれらに好《よ》い山や広い沢地をあたえて自由に棲ませた。かれらを呼んで蛮夷といった。
金龍池
晋《しん》の懐帝《かいてい》の永嘉《えいか》年中に、韓媼《かんおん》という老女が野なかで巨《おお》きい卵をみつけた。拾って帰って育てると、やがて男の児が生まれて、その字《あざな》を※[#「てへん+厥」、47−12]児《けつじ》といった。
※[#「てへん+厥」、47−13]児が四歳のとき、劉淵《りゅうえん》が平陽《へいよう》の城を築いたが、どうしても出来ない。そこで、賞をかけて築城術の達者を募ると、※[#「てへん+厥」、47−14]児はその募集に応じた。彼は変じて蛇となって、韓媼に灰を用意しろと教えた。
「わたしの這って行くあとに灰をまいて来れば、自然に城の縄張りが出来る」
韓媼はそのいう通りにした。劉淵は怪しんで※[#「てへん+厥」、47−17]児を捉《とら》えようとすると、蛇は山の穴に隠れた。しかもその尾の端が五、六寸ばかりあらわれていたので、追っ手は剣をぬいて尾を斬ると、そこから忽ちに泉が涌《わ》き出して池となった。金龍池の名はこれから起ったのである。
発塚異事《はつちょういじ》
三国《さんごく》の呉《ご》の孫休《そんきゅう》のときに、一人の戍将《じゅしょう》が広陵《こうりょう》を守っていたが、城の修繕をするために付近の古い塚を掘りかえして石の板をあつめた。見あたり次第にたくさんの塚をぶち壊《こわ》しているうちに、一つの大きい塚を発《あば》くことになった。
塚のうちには幾重《いくちょう》の閣《かく》があって、その扉《とびら》は
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