たくし共を連れて旅かせぎに出ました。まず振出しに八王子から甲府へ出まして、諏訪から松本、善光寺、上田などを打って廻り、それから北国へはいって、越後路から金沢、富山などを廻って岐阜へまいりました。ひと口に申せばそうですが、そのあいだに、足掛け三年の月日が経ちまして、旅先ではいろいろの苦労をいたしました。そうして、去年の秋の初めに岐阜まで参りますと、そこには悪い疫病が流行っていまして、一座のうちで半分ほどばたばたと死んでしまいました。わたくしの両親もおなじ日に死にました。もうどうすることも出来ないので、残る一座の者は散りぢりばらばらになりましたが、そのなかにお角という三味線ひきの悪い奴がありまして、わたくしをだまして、どこかへ売ろうと企んでいるらしいので、うかうかしていると大変だと思いまして、着のみ着のままでそっと逃げ出しました。東海道を下ると追っ掛けられるかも知れないので、中仙道を取って木曾路へさしかかった頃には、わずかの貯えもなくなってしまって、もうこの上は、乞食でもするよりほかはないと思っていますと、運よく伊平さんの家に引取られて、まあ何ということなしに半年余りを暮していたのでござい
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