火縄銃を持ちて出で、おいよ等に行き逢いて透し見る。おいよは顔を隠すようにして、摺れちがいながら花道のかたへ行く。上のかたより猟師源五郎も火縄銃を持ち、おいよ等のあとを見送りながら出づ。弥三郎も花道をみかえりながら上のかたへ行きかかりて、思わず源五郎に突き当り、二人はおどろいて透し見る。)
弥三郎 おお、源五郎か。
(その声を聞きて、おいよは逃げるように向うへ走り去る。正吉は訳もわからずに、つづいて急ぎゆく。風の音。虫の声。)
[#地から1字上げ]――幕――
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第三幕
一
第二幕とおなじ夜。第一幕の田原弥三郎の家。よき所に行燈《あんどん》をとぼしてあり。庭の上のかたに筵《むしろ》を敷き、お妙は砧の盤にむかいて白布を打っている。薄月のひかり。砧の音。下のかたより猟師五平と寅蔵、いずれも火縄銃を持ちて出づ。
五平 弥三郎どんは内かな。
お妙 (みかえる。)おお、皆さん。兄さんはさっきもう出ました。
五平 ゆう飯を食ってから少し饒舌《しゃべ》っていたので遅くなったが、兄さんは今夜どっちの方角へ行かれたろうな。
お妙 今夜は夜通しで、村中を見廻ると云っていましたが……。
寅蔵 源五郎は見えなかったかな。
お妙 (すこし躊躇して。)いいえ。
五平 今夜は弥三郎どんと相談して、手分けをして出ようかと思ったのだが、こうなったら思い思いに行くとしよう。
寅蔵 むむ。手柄は仕勝ちで、狼を見つけたが最後、ただ一発で仕留めるのだ。
五平 そう巧く行けばいいが、なにしろ相手が姿をみせないので困る。(懐より笛を出す。)誰でも狼を見つけた者は、この呼子を吹いて合図をすることになっているのだから、笛の音を聞いたら駈け集まるのだ。
寅蔵 では、その積りで出かけよう。
(二人は行きかかる。)
お妙 あ、もし、おまえさん達は、そこらで家《うち》の姉さんに逢いませんでしたか。
五平 姉さんは家にいないのか。
お妙 夕方に出たぎりで、いまだに帰って来ないので、どうしたのかと案じているのです。
寅蔵 それはおかしいな。まさかに狼に出逢ったのでもあるまいが……。
お妙 それでも何だか案じられてなりません。
五平 ここのおかみさんが夜歩きをするのは珍しいことだな。
寅蔵 なにしろそこらで逢ったならば、早く帰るように云いましょうよ。
お妙 お頼み申します。
二人 あい、あい。
(五平と寅蔵は下のかたへ去る。)
お妙 (ひとり言。)ほんに姉さんはどうしたのか。
(お妙は砧を打ちつづけている。やがて向うよりおいよと正吉が足早に出づ。)
おいよ (わが家を指さして。)あれがわたくしの家でござります。
正吉 では、もうこれでお別れ申しましょう。
おいよ 御苦労でござりました。伴天連《バテレン》様にもどうぞ宜しく仰しゃって下さい。
正吉 かしこまりました。では、明日……。
おいよ はい。かならず伺います。
(正吉は会釈して、引返して去る。おいよは門口に来りて内をうかがい、木戸をあけて入る。)
お妙 おお、姉さん……。(砧をやめて立寄る。)あんまり帰りが遅いので、どうなされたかと案じていました。
おいよ 大方そうであろうと思って、随分急いで来たのですが、それでも遅くなって済みませんでした。して、兄さんは……。
お妙 さっき支度をして出られました。
おいよ さっき支度をして……。
お妙 五平さんと寅蔵さんも唯《た》った今、誘いに来ました。
おいよ 今夜も総出で狼狩か。それでは暁方まで帰られまい。
お妙 (やや気味悪るそうに、おいよの様子を窺いながら。)姉さん、お夕飯は……。
おいよ お前もまだですか。
お妙 お帰りがあまり遅いので、わたしはお先へ喫《た》べてしまいました。
おいよ (うなずく。)わたしはもう喫べたくもないが……。
お妙 心持でも悪いのですか。
おいよ いいえ。別に……。(考えて。)まあ、兎もかくも一杯たべましょうか。
(おいよは奥に入る。お妙はやはり気味悪るそうに見送りて半信半疑の体《てい》、そっと抜き足をして奥をうかがい、再び庭に降りて砧を打ち始めたるが又すぐに打ちやめ、片手に槌を持ちたるまま又もやそっと縁にあがりて、奥を窺おうとする時、出逢いがしらに障子をあけておいよ出づ。)
お妙 (はっとして後へさがる。)もうお済みになりましたか。
おいよ どうも喫べる気がないので止めました。
お妙 では、やはり何処か悪いのでは……。(おいよの顔を見て。)なんだか顔の色もよくないような。夜風に吹かれて、冷えたのではありませんか。
おいよ 此頃は逢う人ごとに顔の色が悪いと云われるが……。自分では別にどこが悪いとも思いません。冷えると云えばお前こそ、いつまでも庭に出ていて、冷えると悪い。もうだんだんに夜が更けます。好い加減にして内へ這入ったら何
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