もこれもお園の胸を陰らせる種であった。男の末のためを思えばこそ、涙を呑み込んで無理に出してやろうとはするものの、自分とても別れたくないのは山々である。口でこそ二年三年というものの、その間には自分の身にもどんなことが起らないとも限らない。今夜が顔の見納めで、もう二度と逢われないようになるかも知れない。そんなことを考えると、お園も男に釣り込まれたように心が少し弱って来た。
 そうかといって今更どうなるものではない。こうなったら、どうしても男を励まして、無理にも江戸へやるより他《ほか》はない。弱いながらも男はもうその覚悟をしている。ここで自分がもろい涙を見せて、男の覚悟をにぶらせるような事があってはならない。所詮《しょせん》こういう苦しい破目《はめ》に落ちたのが男も自分も不運である。この不運を切り抜けるには強い覚悟がなければならない。やれるところまで存分にやって見て、それで切《せつ》ない思いが透らなければ、よくよく二人に縁がないものと諦めるよりほかはないと、世間の苦労をよけい積んでいるお園は、懐《ふとこ》ろ子《ご》のような六三郎よりもさすがに強い覚悟をもって、無理に笑い顔をつくっていた。そうして江戸の客から聴いたことのある浅草の観音さまや、上野の桜や、不忍《しのばず》の弁天さまや、そんな江戸名所のうわさなどを面白そうに男に話して聞かせた。
 六三郎はやっぱり浮かない顔をして聴いていた。どんな名所も故郷ほどには面白そうに思えなかった。たとい毎日逢われないでも、お園の生きている土地に同じく生きていたかった。
「あしたはいつごろ発《た》つのでござんす」と、お園は雨の音を気づかいながら訊《き》いた。
「朝の六つ半に八軒屋《はちけんや》から淀の川舟に乗って行く。あしたは旅立ちよしという日と聞いているから、大抵の雨ならば思い切って発つつもりで、親方も兄弟子たちも八軒屋まで送ってやると言うていた」
「ほんに長い旅でござんすから、暦《こよみ》のよい日をえらむのが肝腎《かんじん》。わたしもその刻限《こくげん》には北を向いて、蔭ながら見送ります。この頃の天気癖で、あしたもどうやら晴れそうもないが、さして強いこともござんすまい」
「どうで長い道中じゃ。雨を恐れてもいられまい」と、六三郎は寂しく笑った。
「お前は下戸《げこ》じゃが、今夜はお別れに一杯飲みなさんせ。酔うて面白う遊びましょう」
 二
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