心中浪華の春雨
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寛延《かんえん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|己巳年《つちのとみどし》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+向」、第3水準1−85−25]
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     一

 寛延《かんえん》二|己巳年《つちのとみどし》の二月から三月にかけて、大坂は千日前《せんにちまえ》に二つの首が獄門に梟《か》けられた。ひとつは九郎右衛門という図太い男の首、他のひとつはお八重という美しい女の首で、先に処刑《しおき》を受けた男は赤格子《あかごうし》という異名《いみょう》を取った海賊であった。女は北の新地のかしく[#「かしく」に傍点]といった全盛の遊女で、ある蔵《くら》屋敷の客に引かされて天満の老松辺に住んでいたが、酒乱の癖が身に禍いして、兄の吉兵衛に手傷を負わせた為に、大坂じゅう引廻《ひきまわ》しの上に獄門の処刑を受けたのであった。
 これが大坂じゅうの噂に立って、豊竹座の人形芝居では直ぐに浄瑠璃に仕組もうとした。作者の並木宗輔《なみきそうすけ》や浅田一鳥《あさだいっちょう》がひたいをあつめてその趣向を練っていると、ここに又ひとつの新しい材料がふえた。大宝寺町の大工庄蔵の弟子で六三郎《ろくさぶろう》という今年十九の若者が、南の新屋敷《しんやしき》福島屋の遊女お園《その》と、三月十九日の夜に西横堀で心中を遂げたのである。しかもその六三郎は千日寺に梟《さら》されている首のひとつにゆかりのある者であった。
 芝居の方ではよい材料が続々湧いて出るのを喜んだに相違ないが、その材料に掻き集められた人びとの中で、最も若い六三郎が最も哀れであった。

 六三郎は九郎右衛門の子であった。
 九郎右衛門の素姓《すじょう》はよく判っていない。なんでも長町《ながまち》辺で小さい商いをしていたらしいが、太い胆《きも》をもって生まれた彼は小さい商人《あきんど》に不適当であった。彼は細かい十露盤《そろばん》の珠《たま》をせせっているのをもどかしく思って、堂島《どうじま》の米あきないに濡れ手で粟の大博奕《おおばくち》を試みると、その目算はがらり[#「がらり」に傍点]と狂って、小さい身代の有り
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