に変ったこともないらしく、与茂四郎も黙ってうなずきました。そうして、またしずかに言い出しました。
「折角の御馳走ではあるが、この蟹にはどなたも箸をおつけにならぬ方がよろしかろう。そのままでお下げください。」
してみると、この蟹に子細があるに相違ありません。死相のあらわれている人は誰であるか。あらわにその名は指しませんけれども、主人の増右衛門らしく思われます。殊に祖母には思い当ることがあります。というのは、前から準備してあった七匹の蟹は七人の客の前に出して、あとから買った一匹を主人の膳に付けたのですから、その蟹に何かの毒でもあるのではないかとは、誰でも考え付くことです。
主人もそれを聴いて、すぐにその蟹を下げるように言付けましたので、祖母も心得てその皿をのせたお膳を片付けはじめると、与茂四郎はまた注意しました。
「その蟹は台所の人たちにも食わせてはならぬ。みなお取捨てなさい。」
「かしこまりました。」
祖母は台所へ行ってその話をしますと、そこにいる者もみな顔の色を変えました。とりわけて半兵衛は、その蟹を自分が探して来たのですから、いよいよ驚きました。そこで念のために家の飼犬を呼んで来て、主人の前に持出した蟹を食わせてみると、たちまちに苦しんで死んでしまったので、みなもぞっとしました。それから近所の犬を連れて来て、試しにほかの蟹を食わせてみると、これはみな別条がない。こうなると、もう疑うまでもありません。あとから買った一匹の蟹に毒があって、それを食おうとした主人の顔に死相があらわれたのです。
与茂四郎という人のおかげで、主人は危ういところを助かって、こんな目出たいことはないのですが、なにしろこういうことがあったので、一座もなんとなく白けてしまって、酒も興も醒めたという形、折角の御馳走もさんざんになって、どの人もそこそこに座を起《た》って帰りました。
お客に対して気の毒は勿論ですが、怪しい蟹を食わされて、あぶなく命を取られようとした主人のおどろきと怒りは一と通りでありません。台所の者一同はすぐに呼びつけられて、きびしい詮議をうけることになりましたが、前に言ったようなわけですから、誰も彼もただ不思議に思うばかりです。ともかくも半兵衛は当の責任者ですから、あしたは早朝からその怪しい小僧を探しあるいて、一体その蟹をどこから捕って来たかということを詮議するはずで、その晩はそのまま寝てしまいました。
小僧は三匹の蟹を無理に売付けて行ったのですから、まだ二匹は残っています。これにも毒があるかないかを試してみなければならないのですが、もう夜もふけたので、それもあしたのことにしようといって、台所の土間の隅にほうり出しておきますと、夜の明けないうちに二匹ながら姿を隠してしまいました。死んでいると思っていた蟹が実はまだ生きていて、いつの間にか這い出したのか、それとも犬か猫がくわえ出したのか、それも結局わかりませんでした。
一体、蝦《えび》や蟹のたぐいにはどうかすると中毒することがあります。したがって、その蟹に毒があったからといって、さのみ不思議がるにも及ばないのかも知れませんが、この時には主人をはじめ、家《うち》じゅうの者がみな不思議がって騒ぎ立っているところへ、残った二匹もゆくえ知れずになったというので、いよいよその騒ぎが大きくなりまして、半兵衛は伊助という若い者と一緒に早朝からかの小僧のありかを探しに出ました。
半兵衛は勿論、台所に居あわせた者のうちで誰もその小僧の顔を見知っている者がないのです。浜の漁師の子供ならば、誰かがその顔を見知っていそうなはずであるから、あるいはほかの土地から来た者ではないかというのです。こんな事があろうとは思いもよらず、暗い時ではあり、こっちも無暗に急いでいたので、実はその小僧の人相や風体を確かに見届けてはいないのですから、こうなると探し出すのが余ほどの難儀です。
その難儀を覚悟で、ふたりは早々に出てゆくと、そのあとで主人の増右衛門は陣屋へ行って、坂部与五郎という人の屋敷をたずねました。兄さんの与茂四郎に逢って、ゆうべはお蔭さまで命拾いをしたという礼をあつく述べますと、与茂四郎は更にこう言ったそうです。
「まずまず御無事で重畳《ちょうじょう》でござった。但し手前の見るところでは、まだまだほんとうに禍《わざわ》いが去ったとは存じられぬ。近いうちには、御家内に何かの禍いがないとも限らぬ。せいぜい御用心が大切でござるぞ。」
増右衛門はまたぎょっとしました。なんとかしてその禍いを攘《はら》う法はあるまいかと相談しましたが、与茂四郎は別にその方法を教えてくれなかったそうです。ただこの後は決して蟹を食うなと戒めただけでした。
大好きの蟹を封じられて、増右衛門もすこし困ったのですが、この場合、とてもそんな事をいってはいられないので、蟹はもう一生たべませんと、与茂四郎の前で誓って帰ったのですが、どうも安心が出来ません。といって、どうすればよいということも判らないのですから、家内の者に向ってどういう注意を与えることも出来ない。それでも祖母だけには与茂四郎から注意されたことをささやいて、当分は万事に気をつけろと言い聞かせたそうです。
一方の半兵衛と伊助は早朝に出て行ったままで、午頃《ひるごろ》になっても帰らないので、これもどうしたかと案じていると、九つ半――今の午後一時頃だそうでございます――頃になって、伊助ひとりが青くなって帰って来ました。半兵衛はどうしたと訊いても、容易に返事が出来ないのです。その顔色といい、その様子をみて、みんなはまたぎょっとしました。
三
ぼんやりしている伊助を取巻いて、大勢がだんだん詮議すると、出先でこういう事件が出来《しゅったい》していることが判りました。
半兵衛はゆうべ家をかけ出して、ふだんから懇意にしている漁師の家をたずねたのですが、どこの家にも、蟹がない。いばら[#「いばら」に傍点]蟹や高足蟹があっても、かざみ[#「かざみ」に傍点]がない。それからそれへと聞きあるいて、だんだんに北の方へ行って、路ばたに立っている小僧を見つけたのでした。
それですから、きょうも伊助と二人連れで、ともかくも北の方角――出雲崎の方角でございます――を指して尋ねて行きましたが、ゆうべの小僧らしい者の姿を見ない。知らず識らずに進んで鯖石川《さばいしがわ》の岸の辺まで来ますと、御承知かも知れませんが、この川は海へそそいでおります。その海寄りの岸のところに突っ立って水をながめている小僧、そのうしろ姿がどうもそれらしく思われるので、半兵衛があわてて追っかけました。
一方は海、一方は川ですから、ほかに逃げ道もないと多寡《たか》をくくって、伊助はあとからぶらぶら行きますと、真っ先に駈けて行った半兵衛はそのうしろから掴まえて、なにかひと言ふた言いっていたかと思ううちに、どうしたのかよく判りませんが、半兵衛はその小僧にひきずられたように水のなかへはいっていってしまったのです。
それをみて、伊助もびっくりして、これも慌ててその場へ駈け付けましたが、半兵衛も小僧も、水に呑まれたらしく、もうその姿がみえないのです。いよいよ驚いてうろたえて、近所の漁師の家へ駈け込んで、こういうわけで山形屋の店の者が沈んだから早く引揚げてくれと頼みますと、わたくしの店の名はここらでも皆知っていますので、すぐに七、八人の者を呼び集めて、水のなかを探してくれたのですが、二人ともに見付からない。なにしろ川の落ち口で流れの早いところですから、あるいは海の方へ押しやられてしまったかも知れないというので、伊助も途方に暮れてしまいましたが、今更どうすることも出来ません。ともかくも出来るだけは探してくれと頼んでおいて、そのことを注進するために引っ返して来たというわけです。
家の者もそれを聴いて驚きました。取分けて主人の増右衛門はかの与茂四郎から注意されたこともありますので、いよいよ胸を痛めて、早速ひとりの番頭に店の者五、六人を付けて、伊助と一緒に出してやりました。画家の文阿も出て行きました。
前にも申上げた通り、わたくしの家には俳諧師の野水と画家の文阿が逗留していまして、野水はそのとき近所へ出ていて、留守でした。文阿は自分の座敷にあてられた八畳の間で絵をかいていました。文阿は文晃《ぶんちょう》の又弟子とかにあたる人で、年は若いが江戸でも相当に名を知られている画家だそうです。
主人は蟹が好きなので、逗留中に百蟹の図をかいてくれと頼んだところが、文阿は自分の未熟の腕前ではどうも百蟹はおぼつかない。せめて十蟹の図をかいてみましょうというので、このあいだからその座敷に閉じ籠って、いろいろの蟹を標本にして一心にかいているのでした。その九匹はもう出来あがって、残りの一匹をかいている最中にこの事件が出来《しゅったい》したので、文阿は絵筆をおいて起《た》ちました。
「先生もお出でになるのですか。」と、増右衛門は止めるように言いました。
「はあ。どうも気になりますから。」
そう言い捨てて、文阿は大勢と一緒に出て行ってしまいました。しいて止めるにも及ばないので、そのまま出してやりますと、それを聞き伝えて近所からも、また大勢の人がどやどやと付いてゆく。漁師町からも加勢の者が出てゆく。どうも大変な騒ぎになりましたが、主人はまさかに出てゆくわけにもまいりません。家にいてただ心配しているばかりです。
祖母をはじめ、ほかの者はみな店先に出て、そのたよりを待ちわびていますと、そこへかの坂部与茂四郎という人が来ました。途中でその噂を聴いたとみえまして、半兵衛の一件をもう知っているらしいのです。
「どうも飛んだことでござった。御主人はお出かけになりはしまいな。」
「はい、父は宅におります。」と、祖母は答えました。
それでまず安心したというような顔をして、与茂四郎は祖母の案内で奥へ通されました。
「どうも飛んだことで……。」と、与茂四郎はかさねて言いました。「しかし、たといどんなことがあろうとも、御主人はお出かけになってはなりませぬぞ。」
「かしこまりました。」と、増右衛門は謹んで答えました。「家内に何かの禍いがあるというお諭《さと》しでござりましたが、まったくその通りで驚き入りました。」
「お店からはどなたがお出でになりましたな。」
「番頭の久右衛門に店の者五、六人を付けて出しました。」
「ほかには誰もまいりませぬな。」と、与茂四郎は念を押すようにまた訊きました。
「ほかには絵かきの文阿先生が……。」
「あ。」と、与茂四郎は小声で叫びました。「誰かを走らせて、あの人だけはすぐに呼び戻すがよろしい。」
「はい、はい。」
おびえ切っている増右衛門はあわてて店へ飛んで出て、すぐに文阿先生を呼び戻して来い、早く連れて来いと言い付けているところへ、店の者のひとりが顔の色をかえて駈けて帰りました。
「文阿先生が……。」
「え、文阿先生が……。」
あとを聴かないで、増右衛門はそのまま気が遠くなってしまいました。今日《こんにち》でいえば脳貧血でしょう。蒼くなって卒倒したのですから、ここにまたひと騒動おこりました。すぐに医師をよんで手当をして、幸いに正気は付いたのですが、しばらくはそっと寝かしておけということで、奥の一と間へかつぎ入れて寝かせました。内と外とに騒動が出来《しゅったい》したのですから、実に大変です。
そこで、一方の文阿先生はどうしたかというと、大勢と一緒に鯖石川の岸へ行って、漁師たちが死体捜索に働いているのを見ているうちに、どうしたはずみか、自分の足もとの土がにわかに崩れ落ちて、あっという間もなしに文阿は水のなかへ転げ込んでしまったのです。
ここでもまたひと騒ぎ出来して、漁師たちはすぐにそれを引揚げようとしたのですが、もうその形が見えなくなりました。半兵衛のときはともかくも、今度はそこに大勢の漁師や船頭も働いていたのですが、文阿はどこに沈んだか、どこへ流されたか、どうしてもその形を見付けることが出来ないので、大勢も不思議がっているばかりでした
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