病人の枕もとに坐っていた。雨の宵はだんだんにさびしく更けて、雨の音にまじって蛙の声もきこえた。
「重助も帰ってくれ。」と、蛇吉はうなるように言った。
ふたりは顔を見合せていると、病人はまたうなった。
「お年も行ってくれ。」
「どこへ行くんです。」と、お年は訊いた。
「どこでもいい。重助と一緒に行け。いつまでもおれを苦しませるな。」
「じゃあ、行きますよ。」
ふたりはうなずき合ってそこを起《た》った。一本の傘を相合《あいあい》にさして、暗い雨の中を四、五間ばかり歩き出したが、また抜足をして引っ返して来て、門口《かどぐち》からそっと窺うと、内はひっそりしてうなり声もきこえなかった。ふたりは再び顔を見合せながら、さらに忍んで内をのぞくと、病人の寝床は藻ぬけの殻《から》で、蛇吉のすがたは見えなかった。
それがまた村じゅうの騒ぎになって、大勢は手分けをしてそこらを探し廻ったが、蛇吉のすがたはどこにも見いだされなかった。彼は住み馴れた家を捨て、最愛の妻を捨て、永久にこの村から消え失せてしまったのであった。
彼が妻にむかって、この商売を長くはやっていられないと言ったことや、隣り村へゆくことをひどく嫌ったことや、それらの事情を綜合して考えると、あるいは自分の運命を予覚していたのではないかとも思われるが、彼は果して死んでしまったのか、それともどこかに隠れて生きているのか、それはいつまでも一種の謎として残されていた。
しかし村人の多数は、彼の死を信じていた。そうして、こういう風に解釈していた。
「あれはやっぱりただの人間ではない。蛇だ、蛇の精だ。死ぬときの姿をみせまいと思って、山奥へ隠れてしまったのだ。」
彼が蛇の精であるとすれば、その父や母もおなじく蛇でなければならない。そんなことのあろうはずがないと、お年は絶対にそれを否認していた。しかも、なぜ自分の夫が周囲の人々を遠ざけて、その留守のあいだに姿を隠したのか。その子細は彼女にも判らなかった。
これは江戸の末期、文久年間の話であるそうだ。
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清水《しみず》の井《いど》
一
第六の男は語る。
唯今は九州のお話が出たが、僕の郷里もやはり九州で、あの辺にはいわゆる平家伝説というものがたくさん残っている。伝説にはとかく怪奇のローマンスが付きまとっているものであるが、これなどもその一つだ。ただしこれは最近の出来事ではない。なんでも今から九十年ほども昔の天保《てんぽう》初年のことだと聴いている。
僕の郷里の町から十三里ほども離れたところに杉堂という村がある。そこから更にまた三里あまり引っ込んだところだというから、今日《こんにち》ではともかくも、そのころでは、かなり辺鄙《へんぴ》な土地であったに相違ない。そこに由井《ゆい》吉左衛門という豪家があった。なんでも先祖は菊池の家来であったが、菊池がほろびてからここに隠れて、刀を差しながら田畑を耕《たがや》していたのだそうだが、理財の道にも長《た》けていた人物とみえて、だんだんに土地を開拓して、ここらでは珍しいほどの大《おお》百姓になりすました。そうして子孫連綿として徳川時代までつづいて来たのであるから、土地のものは勿論、代々の領主もその家に対しては特別の待遇をあたえて、苗字帯刀を許される以外に、新年にはかならず登城して領主に御祝儀を申上げることにもなっていた。
そんなわけで、百姓とはいうものの一種の郷士のような形で、主人が外出する時には大小を差し、その屋敷には武具や馬具なども飾ってあるという半士半農の生活を営んでいて、男の雇人ばかりでも三四十人も使って、大きい屋敷のまわりには竹藪をめぐらし、またその外には自然の小川を利用して小さい濠《ほり》のようなものを作っていた。土地の者がその門前を通るときは、笠をぬぎ、頬かむりを取って、いちいち丁寧に挨拶して行き過ぎるという風で、その近所近辺の村びとには大方ならず尊敬されていた。当主は代々吉左衛門の名を継ぐことになっていて、この話の天保初年には十六代目の吉左衛門が当主であったそうだ。
由井吉左衛門にふたりの娘があって、姉はおそよ、妹はおつぎといった。この姉妹《きょうだい》がある年の秋のはじめ頃からだんだんに痩せおとろえて、いわゆるぶらぶら病いという風で、昼の食事も進まず、夜もおちおちとは眠られないようになったので、両親もひどく心配して遠い熊本の城下から良い医師をわざわざ呼び迎えて、いろいろに手あつい療治を加えたが、姉妹ともにどうも捗々《はかばか》しくない。どの医師もいたずらに首をかしげるばかりで、一体なんという病症であるかも判らない。
おそよは十八、おつぎは十六、どっちも年頃《としごろ》の若い娘であるから、世にいう恋煩《こいわずら》いのたぐいではないかとも疑われたが、ひとりならず、姉妹揃っておなじ恋煩いというのも少しおかしい。勿論、ふたりともにどっと寝付いているというわけでもなく、天気のいい日や、気分のいい日には、寝床から起き出して田圃《たんぼ》や庭などをぶらぶら歩いているのであるが、それでも病人は病人に相違ないので、親たちの苦労は絶えなかった。
そうすると、親たちにもいろいろの迷いが出る。土地の者もいろいろのことを言いふらすようになる。由井の家の娘には何かの憑物《つきもの》がしているか、さもなければ由井の家に何か祟っているのであろうという噂が、それからそれへと拡がって行くので、親たちもそれを気に病んで、神主や僧侶や山伏や行者《ぎょうじゃ》などを代るがわるに呼び迎えて、あらゆる加持祈祷をさしてみたが、いずれも効験がない。そのうちに、下男のひとりがこういう秘密を主人夫婦にささやいた。
その下男は夜半《よなか》に一度ずつ屋敷内を見まわるのが役目で、師走《しわす》の月の冴えた夜にいつもの通り見まわって歩くと、裏手の古井戸のそばに二人の女の立っている姿をみつけた。夜目遠目《よめとおめ》ではあるが、今夜の月は明るいので、その女たちが主人の娘ふたりに相違ないことを早くも知って、彼は不思議に思った。大きい木のかげに隠れて、なおもその様子をうかがっていると、姉妹は手を引合ってむつまじく寄り添いながら、一心に井戸の底をのぞいているらしかった。まさかに身を投げるのでもあるまいと油断なく窺っていると、やがて姉妹は嬉しそうに笑いながら、手を引合ったままで内へはいった。
下男の密告は単にそれだけに過ぎないが、考えてみると、不審は重々《じゅうじゅう》であると言わなければならない。若い女、ことに半病人の女たちが、なんの用があって寒い夜ふけに裏口へ出て、古井戸のなかを覗いているのかと、吉左衛門夫婦も眉をひそめた。そこで、その下男に言いつけて、あくる夜もそっと井戸のあたりに忍ばせておくと、その晩も夜のふけた頃にかの姉妹が手を引合って出て来た。そうして、ゆうべと同じように井戸をのぞいて、やはり嬉しそうに帰って行くのであった。
こういう不思議な挙動がふた晩もつづいた以上、親たちももう打ち捨てておくわけにはいかなくなった。しかし姉妹ふたりを一緒に詮議してはかえって実《じつ》を吐くまいと思ったので、吉左衛門夫婦はまず妹のおつぎを問い糺《ただ》すことにした。年が若いだけに、妹の方が容易に白状するであろうと思ったからであった。おつぎは奥のひと間へ呼び入れられて、両親が膝づめで詮議すると、最初は強情に口をつぐんでいたが、いろいろに責められてとうとう白状した。
その白状がまた奇怪なものであった。おそよとおつぎは奥の八畳の間に毎夜の寝床をならべるのを例としていたが、八月はじめのある夜のことである。おつぎが夜半《よなか》にふと眼をさますと、自分のとなりに寝ている姉がそっと起きてゆく。初めは厠《かわや》へでも行くのかと思っていると、おそよは縁先の雨戸をあけて庭口の方へ忍んで出るらしいので、おつぎもなんだか不思議に思った。一種の不安と好奇心とに誘われて、妹もそっと姉のあとをつけて出ると、おそよは庭口から裏手へまわった。そこには広い空地《あきち》があって、古い井戸のほとりには大きい椿が一本立っている。おそよはその井戸のそばへ忍び寄って、月あかりに井戸の底を覗いているらしかった。
それから毎晩注意していると、おそよの同じ行動は四日も五日も続いて繰返された。おつぎはそれを両親に密告しようかとも思ったが、ふだんから仲好しの姉の秘密をむやみに訴えるのは好くないと考えて、ある晩、姉がいつものように出てゆくところを呼びとめて、一体なんのためにそんなことをするのかと聞きただすと、おそよは心願があるのだと言った。それがどうも疑わしいので、おつぎは更に根掘り葉ほり詮議すると、おそよもとうとう包み切れなくなって、初めてその秘密を妹に打明けた。
今から一と月ほど前の午《ひる》ごろに、おそよがかの古井戸のほとりを通ると、二匹の大きい美しい蝶がもつれ合って飛んでいて、やがてその二つの蝶は重なり合ったままで井戸のなかへ落ちて行った。おそよはそのゆくえを見定めようとして井戸のそばへ寄って見おろすと、蝶の姿はもう見えなかった。水に落ちてしまったのかと、じっと底の方を覗いていると、水のうえに二つの美しい男の顔が映った。おどろいて左右を見返ったが、あたりには誰もいない。ふたつの蝶が二つの男の顔に変ったわけでもあるまい。不思議に思っていつまでも覗いていると、その男の顔はこっちを見あげてにっこりと笑ったので、おそよはぞっとして飛びのいた。
しかし薄気味の悪かったのは単にその一刹那だけで、おそよは再びその美しい男の顔が見たくなった。かれは左右を窺いながら、抜足をして井戸のそばへ立ち寄って、そっと水の上を覗いてみたが、男の顔はもう浮かんでいなかった。おそよは言い知れない強い失望を感じて、すごすごとそこを立去ったが、あくる日ふたたびその井戸端を通ると、かれは今日もその上にふたつの蝶のもつれて飛んでいるのを見た。蝶はどこへか姿を隠してしまったが、おそよはその蝶のゆくえを追うようにきょうも井戸のなかを覗いてみると、二つの顔はまたあらわれた。おそよはいつまでも飽かずにその顔を見つめていた。
それが始まりで、おそよは一日のうちに幾たびかその古井戸をのぞきに行った。そうしているうちに、明るい真昼には男の顔が見えなくなって、彼らの美しい顔は夜でなければ水の上に浮かばないようになった。夜ならば月夜はもちろん、闇の夜でも男の顔ははっきりと見えて、宵のうちよりも真夜中の方が一層あざやかに浮き出していた。
おそよがこのごろ夜ふけに寝床を抜け出してゆく子細はそれで判ったが、妹のおつぎにはまだ十分に信じられなかったので、かれは姉にたのんで一緒に連れて行ってもらうことになった。古井戸の水の上には果して二つの白い顔が映っていて、いずれも絵にかいたお公家《くげ》さまのような、ここらではかつて見たこともない優美な若い男たちであったので、おつぎも暫くは夢のような心持で、その顔を見つめていた。そうして、姉が毎晩かかさずにここへ忍んで来るのも、なるほど無理はないとうなずかれた。
井戸の水に映る顔は二つで、今までは姉ひとりがそれを眺めていたのであるが、その後は二つの顔に向いあう女の顔も二つになつた。姉妹は毎夜誘いあわせて、その井戸端へ通いつづけていたのである。勿論、その顔を覗くだけのことで、ほかにはどうにも仕様がないのであるが、かの猿猴《えんこう》が水の月をすくうとおなじように、この姉妹も水にうつる二つの美しい顔をすくい上げたいような心持で、夜のふけるのを待ちかねて毎晩毎晩忍んで行った。そうして、身も痩せるばかりの果敢《はか》ない、遣瀬《やるせ》ない思いに悩みつづけているのであった。
二
吉左衛門夫婦はさらに姉娘のおそよを呼出して詮議すると、妹がもういっさいを白状してしまったのであるから、姉も今更つつみ隠すことは出来なかった。おそよも親たちの前で正直に何もかも打明けたが、その申口はおつぎとちっとも変らないので、吉左衛門夫婦ももう疑う余地はなかった。念の
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