自分にもその時の心持はよく判らないと、父は後になって話しました。
とにかくそういう訳で、わたくし共の一家が多年住みなれた吉原の廓を立退きましたのは明治六年の四月、新しい暦では花見月の中頃でございました。今度引移りましたのは今戸の小さい家で、間かずは四間《よま》のほかに四畳半の離《はなれ》屋がありまして、そこの庭先からは、隅田川がひと目に見渡されます。父はこの四量半に閉じこもって、宗匠の机を据えることになりました。
二
それから小《こ》ひと月ばかりは何かごたごたしていましたが、それがようよう落着くと五月のなかばで、新暦でも日中はよほど夏らしくなってまいりました。
父は今まで世間の附合いを広くしていたせいでございましょう、今戸へ引移りましてからも尋ねて来る人がたくさんあります。俳諧のお友だちも大勢みえます。吉原を立退いたらばさぞ寂しいことだろうと、わたくしも子供心に悲しく思っていたのですが、そういうわけで人出入りもなかなか多く、思ったほどには寂しいこともないので、母もわたくしも内々よろこんでおりますうちに、こんな事件が出来《しゅったい》したのでございます。
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