宿の者となにか例のおしゃべりをしている最中であったので、坐ったままで身体をねじむけて表の方を覗いてみると、入口に立っているのはかの赤座であった。彼は古ぼけた中折帽子をかぶって、洋服のズボンをまくりあげて、靴下の上に草鞋《わらじ》を穿いて、手には木の枝をステッキ代りに持っていた。
「やあ。よく来たね。さあ、はいりたまえ。」
僕は片膝を立てながら声をかけると、赤座は懐かしそうな眼をして僕の方をじっと見ながら、そのまま引っ返して表の方へ出てゆくらしい。連れでも待たせてあるのかと思ったが、どうもそうではないらしいので、僕はすこし変に思ってすぐに起《た》って入口に出ると、赤座は見返りもしないで山の方へすたすた登ってゆく。僕はいよいよおかしく思ったので、そこにある宿屋の藁草履を突っかけて彼のあとを追って出た。
「おい、赤座君。どこへ行くんだ。おい、おい、赤座君。」
赤座は返事もしないで、やはり足を早めてゆく。僕は彼の名を呼びながら続いて追ってゆくと、妙義の社《やしろ》のあたりで彼のすがたを見失ってしまった。陰った冬の日はもう暮れかかって、大きい杉の木立ちのあいだはうす暗くなっていた。僕は一種の
前へ
次へ
全256ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング