が、なにかの商売用で長江《ちょうこう》をさかのぼって蜀《しょく》へゆくと、成都の城外――と言っても、六、七里も離れた村だそうですが、その寂しい村の川のほとりに龍王廟というのがある。その古い廟の前に大きい柳が立っていて、柳の下に木馬が据えてある。木馬はともかくも、その馬の手綱を控えている少年の木像が確かに日本人に相違ないので、堀井も不思議に思いました。
もちろん堀井は明治以後に生れた男で、龍馬の池の木像も木馬も見たことはないのですが、かねて話に聴いているものによく似ているばかりか、その木像の顔容《かおだち》や風俗が日本の少年であるということが、大いに彼の注意をひきました。土地の者についていろいろ聞合せてみましたが、いつの頃にどうして持って来たのか一向にわからない。
結局、不得要領で帰って来たそうですが、どうしてもそれは日本のものに相違ないと堀井は主張していました。もし果してそれが本当であるとすれば、木馬や木像が自然に支那まで渡ってゆくはずがありませんから、戦争のどさくさまぎれに誰かが持出して、横浜あたりにいる支那人にでも売渡したのではあるまいかとも想像されますが、実物大の木像や木馬を
前へ
次へ
全256ページ中247ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング