にお》いが眼にしみるようです。病人は避病院へ送られるらしく、黄いろい紙の旗を立てた釣台も来ておりました。なんだか怖ろしくなって、わたくしは早々に内へ逃げ込んでしまいました。
飯田の御新造は真症コレラで避病院へ運び込まれましたが、その晩の十時ごろに死んだそうでございます。御本人はそれで本望かも知れませんが、交通遮断やら消毒やらで近所は大迷惑でございました。それも自然に発病したというのならば、おたがいの災難で仕方もないことですが、この御新造は自分から病気になるのを願っていたらしいという噂が世間にひろまって、近所からひどく怨まれたり、憎まれたりしました。
「飛んでもない気ちがいだ。」と、わたくしの父も言いました。
ところが、その後にお仲という女中の口からこういう事実が伝えられて、わたくしどもを不思議がらせました。前にも申す通り、その当時は黄いろい紙にコレラと黒く書いて、新患者の出た家の門《かど》に貼り付けることになっておりました。飯田の御新造はいつの間にかその黄いろい紙を二枚用意していて、一枚は自分の家《うち》に貼って、他の一枚は柳橋のこうこういう家の門に貼ってくれと警察の人に頼んだそう
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