ったが、ともかくも彼がここへ来てから、その姿を見せなくなったのは事実である。殊に十日以上の暇をつぶさせては、このまま空手《からて》で帰すことも出来ないので、その礼心にそれだけの金を贈ったのである。
「なんの役にも立たないでお気の毒ですが、折角のお志だから頂きます。」
 彼はその金を貰って出ようとする時、村の者の一人があわただしく駈けて来て、山つづきの藪ぎわに大きいうわばみが姿をあらわしたと注進したので、一同はにわかに色めいた。
「もう一と足で吉さんを帰してしまうところであった。さあ、どうぞ頼みます。」
 もともとそれがため来たのであるから、蛇吉も猶予することは出来なかった。彼はすぐに身ごしらえをして、案内者と一緒にその場へ駈けつけると、果して大蛇は藪から半身をあらわして眠ったように腹這っていた。
 蛇吉は用意の粉薬を取出して、川という字を横にしたような三本の線を地上に描いた。彼は第一線を前にして突っ立ちながら、なにか大きな叫び声をあげると、今まで眠っていたようなうわばみは眼をひからせて頭をあげた。と思うと、たちまちに火焔《ほのお》のような舌を吐きながら、蛇吉の方へ向ってざらざらと走りか
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