ったのか知らないが、ここらの村では旧暦の四月のはじめ、かのうわばみがそろそろ活動を始めようとする頃に、蛇祭りというのを執行するのが年々の例で、長い青竹を胴にしてそれに草の葉を編みつけた大蛇の形代《かたしろ》をこしらえ、なんとかいう唄を歌いながら大勢がそれを引摺って行って、近所の大川へ流してしまう。その草の葉を肌守《はだまもり》のなかに入れておくと、大蛇に出逢わないとか、魅《みこ》まれないとかいうので、女子供は争ってむしり取る。こんな年中行事が遠い昔から絶えず繰返されているのを見ても、いかにかのうわばみがここらの人間に禍いし、いかにここらの人間に恐れられているかを想像することが出来るであろう。
そのなかでただひとり、かのうわばみをちっとも恐れない人間――むしろうわばみの方から恐れられているかも知れない、と思われるような人間がこの村に棲んでいた。彼は本名を吉次郎というのであるが、一般の人のあいだにはその渾名《あだな》の蛇吉をもって知られていた。彼は二代目の蛇吉で、先代の吉次郎は四十年ほど前にどこからか流れ込んで来て、屋根屋を職業にしていたのであるが、ある動機からうわばみ退治の名人であると認められて、夏のあいだはうわばみ退治がその本職のようになってしまった。
その吉次郎は既に世を去って、そのせがれの吉次郎がやはり父のあとを継いで屋根屋とうわばみ退治とを兼業にしていたが、その手腕はむしろ先代をしのぐというので、二代目の蛇吉は大いに村の人々から信頼されていた。かれは六十に近い老母と二人暮らしで、ここらの人間としてはまず普通の生活をしていたが、いつか本職の屋根屋を廃業して、うわばみ退治専門になった。彼は夏の間だけ働いて、冬のあいだは寝て暮らした。
彼はどういう手段でうわばみを退治するかというと、それには二つの方法があるらしい。その一つは、うわばみの出没しそうな場所を選んで、そこに深い穴をほり、そのなかで一種の薬を焼くのである。うわばみはその匂いをかぎ付けて、どこからか這い出して来て、そのおとし穴の底にのたり込むと、穴が深いので再び這いあがることが出来ないばかりか、その薬の香に酔わされて遂に麻痺したようになる。そうなれば生かそうと殺そうと彼の自由である。ただしその薬がどんなものであるか、彼は堅く秘して人に洩らさなかった。
単にこれだけのことであれば、その秘密の薬さえ手に入れば誰にでも出来そうなことで、特に蛇吉の手腕を認めるわけにはいかないが、第二の方法は彼でなければ殆んど不可能のことであった。たとえばうわばみが村のある場所にあらわれたという急報に接して、今更にわかにおとし穴を作ったり、例の秘薬を焼いたりしているような余裕のない場合にはどうするかというと、彼は一挺の手斧《ちょうな》を持ち、一つの麻袋を腰につけて出かけるのである。麻袋の中には赭土《あかつち》色をした粉薬《こなぐすり》のようなものが貯えてあって、まず蛇の来る前路にその粉薬を一文字にふりまく。それから四、五間ほど引下がったところにまた振りまく。さらに四、五間離れたところにまたふり撒く。こうして、蛇の前路に三本の線を引いて敵を待つのである。
「おれはきっと二本目でくい止めてみせる。三本目を越して来るようでは、おれの命があぶない。」
かれは常にこう言っていた。そうして、かの手斧を持って、第一線を前にして立っていると、うわばみは眼をいからせて向って来るが、第一線の前に来てすこし躊躇する。その隙をみて、かれは猶予なく飛びかかって敵の真っ向をうち砕くのである。もし第一線を躊躇せずに進んで来ると、彼は後ろ向きのままで蛇よりも早くするすると引下がって、更に第二線を守るのである。第一線を乗り越えた敵も、第二線に来るとさすがに躊躇する。躊躇したが最後、蛇吉の斧はその頭の上に打ちおろされるのである。彼の言う通り、大抵のうわばみは第一線にほろぼされ、たとい頑固にそれを乗り越えて来ても、第二線の前にはかならずその頭をうしなうのであった。
口でいうとこの通りであるが、なにしろ正面から向って来る蛇に対してまず第一線で支え、もし危いと見ればすぐに退いて第二線を守るというのであるから、飛鳥といおうか、走蛇といおうか、すこぶる敏捷に立廻らなければならない。蛇吉の蛇吉たるところはここにあると言ってよい。
ところが、ある時、その第二線をも平気で乗り越えて来た大蛇があったので、見物している人々は手に汗を握った。蛇吉も顔の色を変えた。彼はあわてて退いて第三線を守ると、敵は更に進んで乗り越えた。
「ああ、駄目だ。」
人々は思わず溜息をついた。
蛇吉が退治に出るときは、いつでも赤裸《あかはだか》で、わずかに紺染めの半股引を穿いているだけである。きょうもその通りの姿であったが、最後の一線もいよいよ破られて万事休
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