ここらでは有力の武士で、それと縁を組むことは越智の家に取っても都合がよかった。ことに滝沢の娘というのはことし十七の美人であるので、七郎左衛門のこころは動いた。実際はたといどういう関係であろうとも、梅殿と桜殿とは所詮《しょせん》、日かげの身の上であるから、表向きにはなんと言うことも出来なかった。縁談は故障なく運んで、いよいよ今夜は嫁御の輿入《こしい》れというめでたい日の朝である。越智の屋敷の家来らは思いもよらない椿事《ちんじ》におどろかされた。
主人の七郎左衛門はその寝床で刺し殺されていたのである。彼は刃物で左右の胸を突き透されて仰向けになって死んでいた。ひとつ部屋に寝ているはずの梅殿も桜殿もその姿をみせなかった。屋敷じゅうではおどろき騒いで、そこらを隈なく詮索すると、ふたりの女の亡骸《なきがら》は庭の井戸から発見された。前後の事情からかんがえると、今度の縁談に対する怨みと妬みとで、梅と桜とが主人を殺して、かれら自身も一緒に入水《じゅすい》して果てたものと認めるのほかはなかった。勿論、それが疑いもない事実であるらしかった。
しかもその二つの亡骸を井戸から引揚げたときに、家来らはまたもや意外の事実におどろかされた、今まで都の官女とのみ一|途《ず》に信じていた梅と桜とは、まがうかたなき男であった。彼らはおそらく平家の名ある人々の公達《きんだち》で、みやこ育ちの優美な人柄であるのを幸いに、官女のすがたを仮りて落ちのびて来たものであろう。山家《やまが》育ちの田舎侍などの眼に、それがまことの女らしく見えたのは当然であるとしても、七郎左衛門までが欺かれるはずはない。彼は二人の正体を知りながら、梅と桜とを我がものにして、秘密の快楽にふけっていたのであろう。その罪はまた、かのふたりの手に因《よ》って報いられた。
梅と桜とが身を沈めたのは、かの清水の井戸であった。二つの鏡はおそらくこの二人の胸に抱かれていたのを、引揚げる時にあやまって沈めてしまったのか、あるいは家来らが取って投げ込んだものであろう。主人の七郎左衛門をうしなったのち、越智の家は親戚の子によって相続された。そうして、前にもいう通り南北朝時代に至って滅亡した。それから幾十年のあいだは草ぶかい野原になっていた跡へ、由井の家の先祖が来たり住んだのである。後住者が木を伐り、草を刈って、新しい住み家を作るときに、測らずもここに
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