。(思い出したように。)ああ、丁度好い。高田さん、あなたからも親父に云い聞かせて頂きたい事があるんですがね。
高田 どんなことです。
中二 御承知の通り、妹が今度の災難について、あなたの工場から三千二百円の弔慰金をとどけて呉れたでしょう。勿論、葬式や何かで幾らかは使いましたけれど、三千円余りの金はまだ残っているんです。その金を差当りどうすると云うことも無いんですから、町へ持って行ってどこかの銀行へ預けて置けと云うんですが、親父がどうしても承知しないんです。
高田 銀行は不安心だとでも云うんでしょうか。
李中行 そうです、そうです。お前さんもよく知っていなさるだろうが、この三四年のあいだに銀行は幾つも潰れている。去年もあの取付け騒ぎで、日本の銀行と支那の銀行が二つも一度に潰れてしまったではありませんか。
高田 それは近年怪しげな銀行がむやみに殖えたからで……。一口に銀行と云っても、そのなかには確な銀行もありますよ。現に僕の工場で取引をしている二三の銀行などは、相当に信用もあり、確実だと聞いていますが……。
李中行 いや、誰だって確でないと思う銀行にあずける者はない。確だと思えばこそ預けるのだが、それが案外にばたばた[#「ばたばた」に傍点]と潰れてしまうのだから、めったに油断はできない。なんでも自分の金は自分がしっかり[#「しっかり」に傍点]と預かっているに限りますよ。五分の利が付くとか、六分の利が付くとか、そんな慾張ったことを考えるから、元も子もなくして仕舞うことになる。現にわたしの知っている者でも、あの銀行騒ぎのために大損《おおぞん》をした者が幾人もあります。娘の命と掛け換えの大事の金を、どうしてそんな危ないところへ預けて置かれるものですか。たとい忰がなんと云っても、お前さんが何と勧めても、こればかりは私がどうしても不承知ですよ。(寝室をみかえる。)女房だって不承知に決まっています。(中二に。)あの金は高田さんの工場からおれ達夫婦に呉れたのだ。おまえに呉れたのでは無いのだぞ。おれ達の金を何《ど》うしようと、おれ達の勝手ではないか。おまえが余計な世話を焼くには及ばないのだ。(卓を叩く。)
中二 お父《とっ》さんは相変らず頑固だなあ。(高田と顔をみあわせて苦笑いする。)
李中行 はは、安心していろ。おれだって迂闊なことをするものか。あの金はみんな金貨や銀貨に引きかえて、
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