ことを云うな。日が暮れようが、雨が降ろうが、それをおれが知ったことか。ここの家は宿屋ではないのだ。
第二の男 宿屋でないのは知っていますが……。
高田 いや、そればかりでなく、ここの家《うち》は忌中だから他人を泊めることは出来ないのだ。ほかへ行ってくれ給え。
第二の男 ははあ、忌中ですか。一体だれが死んだのです。
高田 そんな詮議をするには及ばないから、早く行って呉れたまえ。
第二の男 わたしは疲れ切っているので、もう一足も歩かれないのです。
(男はそこらにある高梁《コーリャン》の束の上に腰をおろす。寝室より柳が窺い出づ。)
柳 おまえさん。又だれか来たようだが、早く断っておしまいなさいよ。
李中行 断っても動かないのだ。(高田に眼配せしながら。)さあ、出て行ってくれ。早く出て行かないと、引摺り出すぞ。
高田 夜の更けないうちに、ほかへ行って頼むが好い。ここの家は忌中だというのに……。
李中行 さあ、出ろ、出ろ。
(二人は立ちかかる。)
第二の男 ああ、なさけを知らない人達だな。
(男は渋々立ちあがりて表へ出づれば、李は扉を手あらく閉める。男は下のかたへ立去る。)
柳 さびしいような、騒々しいような。なんだか忌な晩だねえ。(寝室に入る。)
李中行 入り代り、立ち代り、おかしな奴が押掛けて来て、まったく忌な晩だ。高田さんに居て貰って好かった。私ひとりだったら、あんな奴等はなかなかおとなしく立去ることではない。それに付けても、中二は遅いな。
高田 (腕時計をみる。)もう七時過ぎですから、やがて来るでしょう。あいにくに雨がだんだん強くなったようですね。
李中行 なに、あいつはまだ若いから、些《ちっ》とぐらいの雨には困りもしますまいよ。(云いかけて思い出したように。)いや、あの中二の奴めは早くから日本人の店へ奉公に行って、夜学に通わせて貰ったりして、些っとばかり西洋の本なぞを読むようになったものだから、此頃はだんだん生意気になって、親の云うことなぞは頭から馬鹿にして取合わないのですが、今度のことは全く私が悪かったのです。飛んでもない慾に迷って、青蛙神に願掛けをしたものだから、四千両の金の代りに娘の命を取られるような事にもなったのですよ。誰がなんと云っても、それに相違ないのです。
高田 (まじめに。)そんなことが無いとも云えませんね。
李中行 ところで、お前さん。(あたりを見
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