なんて、そんな馬鹿なことがあるものか。(激して。)阿香さんが……何で自殺なんぞするものか。
浦辺 (しずかに。)君、誤解しちゃあいけないよ。工場の方では、過失であるとか無いとか云うことを問題にして、弔慰金の額を多くするとか少くするとか云うわけじゃあない。いずれにしても規定の弔慰金はかならず支出するのだが、唯その場にいた者がそんな話をしていたから、僕はその取次ぎをしたに過ぎないのだ。
李中行 娘の方から機械のそばへ寄って行ったのでしょうか。
浦辺 さあ、今もいう通り、私も人の噂を聞いただけで、自分が実地を見ていたわけではないのだから、確なことは云えませんよ。
李中行 ねえ、高田さん。ほんとうでしょうか。
高田 一つ工場に勤めていても、僕はそのとき機械場の方へ行っていなかったので、そんなことは嘘だか本当だか知りませんよ。併し阿香さんが自分から機械にまき込まれる筈がありませんからね。
柳 そうですとも……。なんで娘がそんなことをするもんですか。積ってみても知れたことですよ。
村上 (浦辺に。)じゃあ、もう行きましょうか。
浦辺 むむ。わたしももう一度拝んで行こう。
(浦辺は寝室に入る。)
時子 (高田に。)ここの家のお墓はどこにあるんでしょう。
高田 僕も今まで知らなかったが、中二君の話ではここから、三四町ほど距《はな》れた所にあるそうだ。
君子 それじゃあ時々に御参詣に来られますわね。
柳 (泣きながら。)どうぞお墓参りに行って遣ってください。あれも嘸《さ》ぞ喜びましょうから。
(柳も時子も君子も眼をふいている。一室より浦辺出づ。あとより中二と會徳も出づ。)
浦辺 では、皆さん。いずれ又伺います。
中二 色々ありがとうございました。
(浦辺は先に立ち、村上、時子、君子、皆それぞれに会釈して表へ出で、下のかたへ立去る。)
會徳 みんなも力落しであろうけれど、もう斯《こ》うなったら仕方がない。早く近所の人たちを呼んで来て、葬式の支度に取りかかることにしようではないか。
中二 何分よろしく願います。
會徳 では、すぐに行って来よう。
(會徳は早々に下のかたへ立去る。)
中二 さあ、お父さん阿母さんも奥へ行って、妹を拝んでお遣りなさい。
(李は黙っている。柳も無言で泣いている。)
高田 (嘆息する。)無理もないなあ。阿香さんは死んでしまった。ああ、僕もなんだか世の中が暗やみにな
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