…。」と、わたしは訊き返した。
「そうです。西瓜に氷をかけて食ったのです。わたしも一緒に食いました。そうして無事に別れたのですが、その夜なかに倉沢君は下痢を起して、直腸カタルという診断で医師の治療を受けていたのです。それで一旦はよほど快方にむかったようでしたが、廿日過ぎから又悪くなって、とうとう赤痢のような症状になって……。いや、まだ本当に赤痢とまでは決定しないうちに、おとといの午後六時ごろにいけなくなってしまいました。西瓜を食ったのが悪かったのだといいますが、その晩××軒で西瓜を食ったものは他《ほか》にも五、六人ありましたし、現にわたしも倉沢君と一緒に食ったのですが、ほかの者はみな無事で、倉沢君だけがこんな事になるというのは、やはり胃腸が弱っていたのでしょう。なにしろ夢のような出来事で驚きました。早速京都の方へ電報をかけようと思ったのですが、あなたから来たハガキがどうしても見えないのです。それでも倉沢君が息をひき取る前に、あなたは廿九日の午前十一時ごろにきっと来るから、葬式はその日の午後に営んでくれと言い残したそうで……。それを頼りに、お待ち申していたのです。」
 わたしの頭は混乱してしまって、何と言っていいか判らなかった。その混乱のあいだにも私の眼についたのは、横田君の白い服と麦わら帽であった。
「あなたは倉沢君と××軒へ行ったときにも、やはりその服を着ておいででしたか。」
「そうです。」と、横田君はうなずいた。
「帽子もその麦藁で……。」
「そうです。」と、彼は又うなずいた。
 麦わら帽に白の夏服、それが横田君の一帳羅《いっちょうら》であるかも知れない。したがって、横田君といえばその麦わら帽と白い服を連想するのかも知れない。さきの夜、倉沢が一種の幻覚のように横田君のすがたを認めた時に、麦わら帽と白い服を見たのは当然であるかも知れない。しかもその幻覚にあらわれた横田君と一緒に西瓜を食って、彼の若い命を縮めてしまったのは、単なる偶然とばかりは言い得ないような気もするのである。
 かれが東京で西瓜をしばしば食ったことは、わたしも知っている。しかも静岡ではなるべく遠慮していると言ったにも拘らず、彼は横田君と一緒に西瓜を食ったのである。群衆妄覚をふりまわして、稲城家の怪事を頭から蹴散らしてしまった彼自身が、まさかに迷信の虜《とりこ》となって、西瓜に祟られたとも思われない
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