ない。僕は鱒《ます》の捕れる時節に招待されたのであるが、まず初夏の時節をよしとして訪問したのである。草は乾いて、日光はさのみ暑からず、そよそよと風が吹く。その時、わがマデライン嬢とともに、枝の茂った楡の下蔭をそぞろに歩み、木立のあいだをしずかに縫ってゆくのであった。
 僕はわがマデライン嬢といったが、実のところ、彼女はまだ僕のものではないのである。彼女はその身を僕に捧げたというわけでもなく、僕のほうからもまだなんとも言い出したのではなかったが、自分が今後この世に生きながらえてゆくには、どうしても彼女をわがものにしなければならないと考えているので、自分の腹のうちだけでは、彼女をわがマデラインと呼んでいるのであった。自分の考えていることを早く彼女の前に告白してしまえば、こんな独りぎめなどをしている必要はないのであるが、さてそれが非常にむずかしい事件であった。
 それはすべての恋する人が恐れるように、およそ恋愛の成るか成らぬかの間にまた楽しい時代があるのであるから、にわかにそれを突破して終末に近づき、わが愛情の目的物との交通または結合を手早く片付けてしまうのを恐れるばかりでなく、僕は主人のジ
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