いてあって、いつもお使いになる古代の鏡が同時に失《な》くなっていたのだそうでございます」
 それから婦人たちの話は小さいささやきになったので、コスモはしきりにそれを聞きたいと思っても、もうその以上を知ることは出来なかった。この場合、コスモはかの婦人たちの好奇心のなかに飛び込んで、一緒に話したらよかったかもしれなかったが、彼は驚きのあまりにそれをなし得なかったのである。ホーヘンワイス家の姫の名はコスモもかねて知っていたが、まだその人を見たことはなかった。姫が鏡の中から抜け出した彼女でない限り、コスモは見たことのない婦人であって、かの怖ろしい夜に自分の前にひざまずいた人であるかどうかを、彼は疑わざるを得なかった。彼はなにぶんにも体が弱っているので、今聞いたことのためにひどく心を労して、もうそこに落ち着いてはいられなくなった。彼は表へ出て、自分の下宿にたどりついた。
 姫に近づき得るなどということは夢にも思えないことながら、その住居がわかったことは少なくも彼にとっては喜びである。また、憎むべき監禁状態から彼女を自由にすることが出来たらば、どんなに幸福であろうと思うだけでも、彼には大いなる喜びであった。彼は思いもよらずこれだけのことを知ったように、これからもまた、どんな思いがけないことが近いうちに起こってくるであろうかと待ち望んでいたのであった。

「君は最近にスタインワルドに逢ったかい」
「いや、しばらく逢わないね。あいつは剣闘で僕のいい相手なんだが……。あれが古道具屋から出て来た時に会ったぎりのように思うよ。それ、君と一緒に甲冑《かっちゅう》を見にいったことがあるだろう。あの店だよ。それはまる三週間まえだ」
 この話でコスモはヒントを得たのであった。フォン・スタインワルドと言えば、向う見ずの烈《はげ》しい性情の所有者で、大学でもみんなが怖れている男である。さてはあの男が鏡を持っているに違いないと思ったが、コスモにとっては苦手《にがて》であった。この場合、乱暴な急激手段はいずれにしても成功しそうもない。コスモが望んでいるのは、ただ、かの鏡を打ち割る機会さえ捉《とら》え得ればいいのである。それには時を待つよりほかはない。彼は心のうちにいろいろの手段方法をめぐらしてみたが、どれもまとまらなかった。
 とうとうその機会が来た。ある夕方、スタインワルドの家の前をとおると、いくつか
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