、ついに無効に終わったのであった。
彼は他人に対して別に何事も訊《き》こうとはしなかったが、それでも捜索の端緒《いとぐち》になるような暗示があらば、どんなことでも聞き逃がすまいと、常に聴き耳を立てていた。外出の節は、まんいち運よくかの鏡にひと目でも出逢う時があったらば、その時すぐに打ち割るために、いつも身には短い重い鉄鎚をつけていた。彼にとっては、彼女に逢うことはもはや第二の問題であった。ただ彼女の自由さえ得ることが出来ればそれでいいと思っていた。彼は蒼ざめた幽霊のように窶《やつ》れ果てて、自分の失策《しくじり》のために彼女がどんなに苦しみ悩んでいるかと心を傷《いた》め尽くして、所所方方をさまよい歩いていた。
ある晩、町でも最も宏壮なる別邸の一つとして知らるる家の集会にコスモもまじっていた。彼は貧しいながらも、何か自分の捜索を早める端緒を見いだしはしまいかと思って、すべての招待に応じて、その機会を失わないように努めていたのであった。この席上でも彼は何か探り出すことはないかと、洩れきこえる諸人の談話をいちいち聞き逃がさないようにうろつき廻っていた。そうして、会場の片隅で静かに話している婦人の群れに近づくと、ひとりの婦人は他の婦人にこんなことを話しているのが聞こえた。
「あなたはあのホーヘンワイス家のお姫《ひい》さまが、不思議なご病気でいらっしゃるのをご存じでございますか」
「はい、あのおかたはもう一年あまりもお悪いのでございます。あんなお美しいおかたが、そんな怖いお患《わずら》いをなすっていらっしゃるのは、お気の毒でございますね。つい二、三週間のあいだはたいそうよろしかったようでしたが、またこの二、三日以来お悪いそうで、以前よりもたしかにひどくおなりなすったといいますが、よほどわからない謂《いわ》れがあるのでございましょうね」
「何かご病気に謂れがおありになるのでございますか」
「わたくしもよくは伺っておりませんけれど、こんな話でございます。一年半ほど前にお姫さまが、お屋敷で何か大事なご用を仰せつかっている老女を、お叱りになったことがあるのだそうでございます。そうすると、その老女は何か辻褄《つじつま》の合わない嚇《おど》し文句を残して、そのままいなくなってしまいました。それから間もなくご病気が起こったのだそうで……。そうして、おかしいことには、お姫さまの化粧室に置
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