てくると、コスモはその上に、香その他の材料を混合したものを撒《ま》いた。それから描いた線のなかに歩み寄って、火鉢の所から振り向いて鏡のなかの女の頭を見つめながら、強い魔法の呪文《じゅもん》をふるえる声でくりかえした。
それがあまりに長く続かないうちに、彼女は顔を蒼くしたが、波が打ち返すように今度は顔をあからめて、手をもって顔をかくした。彼は魔法をさらに強くつづけた。彼女は起《た》って、室内を不安そうにあちらこちら歩きながら、何か腰をおろすものが欲しいように見まわしていた。とうとう、彼女は突然に見つけたようであった。彼女は眼を大きくいっぱいに見ひらいて彼を見つめていたが、なんだか気が進まないようなふうに身を引いて、鏡の近くに寄って行った。
コスモの眼が彼女に一種の魅力を与えたようであった。コスモは今までこんなに間近く彼女を見たことはなかった。眼と眼とが合うほどまでに近づいたが、それでも彼女の表情は分からなかった。その表情は優しい哀願をこめているものであったが、その以上の、言葉に尽くせない何物かがあった。彼は胸の思いが喉《のど》のところまで込み上げて来たが、なにぶんにもまだ魔法を続けていて、その歓喜も焦燥も表にあらわすわけにはゆかなかった。
彼女の顔に見入っていると、コスモは今までにない魅惑を感じた。突然に彼女はうつっている部屋のうちから扉の外へ歩いていったかと思うと、次の瞬間に彼女は、コスモの部屋に(鏡のうちではない)まことの姿になってはいって来た。
彼はいっさいの注意を忘れて、そこから飛びあがって彼女の前にひざまずいた。今こそ彼が熱情の夢に描いていた彼女が、生きた姿で雷鳴のたそがれに、魔術の火の輝きのなかにただひとり、彼のかたわらに立っているのである。
「どうしてあなたは、この雨のふっている町を通って、私のような哀れな女を連れて来たのです」と、彼女はふるえる声で言った。
「あなたを恋しているからです。私はあなたを鏡のうちから呼び出しただけです」
「ああ、あの鏡!」と、彼女は鏡を見上げて身をふるわせた。「ああ、わたしはあの鏡のある間は一種の奴隷に過ぎないのです。私がここに参ったのは、あなたの魔術の力だとお思いになってはいけません。あなたが私に逢いたがっていらっしゃることが、私の心を打ったのです。それが私をここへ来させたのです」
「では、あなたは私を愛してくださ
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